十三鬼穴考02

 鍼灸大成の第八巻(本によっては十巻となる)の心邪癲狂門を抜粋する。以下の抜粋は十巻に書かれていたものを転載した。手元の複数の鍼灸大成と比較すると、編集の仕方が異なるために巻数が前後しているようで書かれた内容には差がないことを確認している。

心邪癲狂門
心邪癲狂 攢竹 尺澤 間使 陽谿
△癲狂 曲池(七壯) 小海 少海 間使 陽谿 陽谷 大陵 合谷 魚際 腕骨 神門 液門 沖陽 行間 京骨(以上俱灸) 肺俞(百壯)
△癲癇 攢竹 天井 小海 神門 金門 商丘 行間 通谷 心俞(百壯) 後谿 鬼眼穴
△鬼擊 間使 支溝
△癲疾 上 星 百會 風池 曲池 尺澤 陽谿 腕骨 解谿 後谿 申脈 崑崙 商丘 然谷 通谷 承山(針三分速出灸百壯)
狂言 太淵 陽谿 下廉 崑崙
狂言不樂 大陵
△多言 百會
△癲狂言語不擇尊卑 灸唇裏中央肉弦上一壯 炷如小麥大又用鋼刀割斷更佳
狂言數回顧 陽谷 液門
△喜笑 水溝 列缺 陽谿 大陵
△喜哭 百會 水溝
△目妄視 風府
△鬼邪 間使 仍針 後十三穴(穴詳見十一卷)
△見鬼 陽谿
△魘夢 商丘
△中惡不省 水溝 中脘 氣海
△不省人事 三里 大敦
△發狂 少海 間使 神門 合谷 後谿 復溜 絲竹空
△狂走 風府 陽谷
△狐魅神邪送附癲狂。 以兩手兩足 大拇指用繩縛定, 艾炷著四處盡灸, 一處灸不到, 其疾不愈, 灸三壯。 (即鬼眼穴)小兒胎癇奶癇驚癇, 亦依此法, 灸一壯, 炷如小麥大。
△卒狂 間使 後谿 合谷
△瘈瘲指掣 巌門 陽谷 腕骨 帶脈 勞宮
△呆癡 神門 少商 湧泉 心俞
△發狂登高而歌棄衣而走 神門 後谿 沖陽
△瘈驚 百會 解 谿
△暴驚 下廉
△癲疾 前谷 後谿 水溝 解谿 金門 申脈

 さて心邪癲狂門は訳するならば精神疾患に対する鍼灸治療を集めたものと言える。ざっと全体を診て解る事に間使が多用されているのが顕著だ。間使が使われている症状を列記してみると、癲狂(狂躁状態)、鬼撃(ヒステリー?)、鬼邪(精神疾患)発狂、卒狂(突発的な発狂?)となり、共通点としてはまず1:意識は保っている 2:症状が激しい という精神疾患に対応させている事が解る。
 中でも鬼邪の項目では間使を指定した後に「鍼は後の十三穴(穴の詳細は十一巻を見よ)」という指定が入っている。では十一巻の十三穴は?というと十三鬼穴が掲載されている。八巻に心邪癲狂門が記載されている鍼灸大成では九巻を参照せよとある。
 鍼灸大成十一巻では以下の通り。

孫真人針十三鬼穴歌


百邪顛狂所為病, 針有十三穴須認, 凡針之體先鬼宮, 次針鬼信無不應。
一一從頭逐一求, 男從左起女從右, 一針人中鬼宮停, 左邊下針右出針。
第二手大指甲下, 名鬼信刺三分深, 三針足大指甲下, 名曰鬼壘入二分。
四針掌上大陵穴, 入針五分為鬼心, 五針申脈為鬼路, 火針三分七饪饪。
第六卻尋大椎上, 入髮一寸名鬼枕, 七刺耳垂下八分, 名曰鬼床針要溫。
八針承漿名鬼市, 從左出右君須記, 九針勞宮為鬼窟, 十針上星名鬼堂。
十一陰下縫三壯, 女玉問頭為鬼藏, 十二曲池名鬼腿, 火針仍要七饪饪。
十三舌頭當舌中, 此穴須名是鬼封, 手足兩邊相對刺, 若逢孤穴只單通。
此是先師真妙訣, 狂猖惡鬼走無蹤。
一針鬼宮, 即人中, 入三分。 二針鬼信, 即少商, 入三分。 三針鬼壘,
即隱白入二分。 四針鬼心, 即大陵, 入五分。 五針鬼路, 即申脈, 火針三分,
六針鬼枕, 即風府, 入二分。 七針鬼床, 即頰車, 入五分。 八針鬼市, 即承漿,
入三分。 九針鬼窟, 即勞宮, 入二分, 十針鬼堂, 即上星, 入二分。 十一針鬼藏,
男即會陰, 女即玉門頭入三分, 十二針鬼腿, 即曲池, 火針入五分, 十三針鬼封,
在舌下中縫, 刺出血, 仍膻安針一枚, 就兩口吻, 令舌不動, 此法甚效,
更加間使後谿二穴, 尤妙。
男子先針左起。 女人先針右起。 單日為陽。 雙日為陰。 陽日陽時針右轉,
陰日陰時針左轉。 刺入十三穴盡之時, 醫師即當口問病人, 何鬼何妖為禍,
病人自說來由, 用筆一一記錄, 言盡狂止, 方宜退針。

 千金翼方に書かれた十三鬼穴と比較すると、前半部は言い回しに工夫がされ、こちらは歌として成立している事に気がつく。このような「歌」の形で鍼灸の配穴や考え方を伝えるものを歌賦(かふ)といい、古い時代から受け継がれている。歴代鍼灸歌賦を纏めた本も存在しているが、残念ながら希少で入手困難な状態に有り自分も手に入れてない。
 後半部は歌賦そのものに対しての解説の様相を呈している。鬼宮がいわゆる人中である事を明記し、そこへの刺鍼は三分とする、といった具合である。歌賦の状態では鬼宮には左から刺し右に出すようにせよと書かれているが、それを補完するような形で追記されている。あるいは訂正なのかもしれないが。
 この十三穴と心邪癲狂門での配穴は多くが合致している。大成と千金翼方の成立年代を考えると、大成の方が千金翼方を参考に発展した結果と考えるのが自然だろう。鍼灸大成は1601年、明の楊継州によって書かれたとされる。日本語訳も出版されているので参考にされたい。

完訳 鍼灸大成  東洋医学古典

完訳 鍼灸大成 東洋医学古典