拘攣閉塞、遣八邪而去矣、寒熱痺痛、開四関而已之。
拘攣は閉塞、八邪を遣れば而して去り、寒熱痺痛は、四関を開けば而して之を已す。
拘孿者,筋脈之拘束,閉塞者,氣血之不通,八邪者,所以候八風之虛邪,言疾有孿閉,必驅散八風之邪也。 寒者,身作顫而發寒也。 熱者,身作潮而發熱也。 四關者六臟。 六臟有十二原出於四關,太衝合谷是也。 故太乙移宮之日,主八風之邪。 令人寒熱疼痛,若能開四關者,兩手兩足,刺之而已,立春一日起艮,名曰天雷宮。風從東北來為順,春分一日起震,名曰倉門宮。風從正東來為順令,立夏一日起巽,名曰陰洛宮,風從東南來為順令,夏至一日起離,名曰上天宮。風從正南來為順令,立秋一日起坤,名曰玄委宮。風從西南來為順令,秋分一日起兌,名曰倉果宮。風從正西來為順令,立冬一日起乾,名曰新洛宮。風從西北來為順令, 冬至一日起坎,名曰狮蟄宮。風從正北來為順令,其風著人爽神氣,去沉弉, 背逆謂之惡風毒氣,吹形骸即病,名曰時氣。 留伏流入肌骨臟腑,雖不即患, 後因風寒暑濕之重感,內緣飢飽勞慾之染著, 發患曰內外兩感之痼疾, 非刺針以調經絡,湯液引其榮衛,不能已也。 中宮名曰招搖宮。 共九宮焉。 此八風之邪,得其正令,則人無疾,逆之則有病也。
まず、いくつか漢字についてみておく必要が有るので、そちらを先に見ておく。寒熱痺痛なのだが、これは、ある流派の教育を受けた者なら「痺」なのか「痹」なのかという問題をハッキリさせたくなると思う。実際私もその流派の教育を受けた者なので真っ先に気になった。流派に関してはあえて書かない。ここは別に流派を語る場所ではないからだ。さて、複数の本を見てみたのだが特に書き分けがされていると言う訳でもなさそうだが、やはり大陸系の書籍では「痹」と書かれたものが多い。台湾などの書籍だと「痺」としてるものも見られる。もしかすると単純に活字の問題なのかもしれないが、一応ここもネットという環境なのでフォントの都合を考えて「痺」の方で書いておいた。個人的には、楊継州の注釈と照らし合わせても痹症の「痹」を推奨したいが、世の中には都合っていうものがある。フォントが潰れずに読める人だけ痹で読んでいただきたい。
内容としては非常に重要な部分でもある。ここから実際の経穴を引き合いに出しての治療法が始まるからだ。拘攣(こうれん)は痙攣と同じような状態で、体が引きつり動かなくなる状態を指す。漢方薬では芍薬などで対応する病状を連想すると解りやすいのかもしれないが、ここを読む人では麻木から肝を連想する人の方が多かろう。それは的確で、楊継州の注釈でも風邪の解説が続く。八邪=八風の邪とし、まず風の解説が入る。ここの部分は面白いので全部見て行こうと思う。
季節:その季節の始まる日:その日の名称:本来吹いてくる風の方向
立春:艮:天雷(天留という表記も有り)宮:東北より吹く
春分:震:倉門宮:東より吹く
立夏:巽:陰洛宮:東南より吹く
夏至:離:上天宮:南より吹く
立秋:坤:玄委宮:西南より吹く
秋分:兌:倉果宮:西より吹く
立冬:乾:新洛宮:西北より吹く
冬至:坎:叶蟄宮:北より吹く
以上が八風を簡単に纏めた物となる。纏める以前の物は上に書いてある漢文そのものなので別に大した事をした訳ではないのだが、こうやって纏めると季節と方角が解りやすいのではないか?と思っただけだ。○○宮という部分は九宮からの引用だ。上記の八つに中央をくわえて九宮とするらしいが、これは易の考え方のようなので自分は詳しくは知らない。だが黄帝内経霊枢の七十七に九宮八風の篇が有り、そちらには九宮と八風が纏まっている。黄帝内経に関しての私の立場は何度も書いている通り、1.詳しい人が沢山居る 2.解釈法が恐ろしく多数あるため言及が困難 3.しかもその解釈法によって流派のようなものが出来ていて流派間で反目しあっている場合が多い 4.原文を読んで欲しい といういつもの考えから原文を掲載するに留めたい。
太一常以冬至之日,居狮蟄之宮四十六日,明日居天留四十六日,明日居倉門四十六日,明日居陰洛四十五日,明日居天宮四十六日,明日居玄委四十六日,明日居倉果四十六日,明日居新洛四十五日,明日復居狮蟄之宮,曰冬至矣。太一日遊,以冬至之日,居狮蟄之宮,數所在日從一處,至九日,復反於一,常如是無已,終而復始。

太一移日,天必應之以風雨,以其日風雨則吉,歲美民安少病矣。先之則多雨,後之則多旱。太一在冬至之日有變,占在君。太一在春分之日有變,占在相。太一在中宮之日有變,占在吏。太一在秋分之日有變,占在將。太一在夏至之日有變,占在百姓。所謂有變者,太一居五宮之日,病風折樹木,揚沙石,各以其所主,占貴賤。因視風所從來而占之,風從其所居之鄉來為實風,主生,長養萬物。從其衝後來為虛風,傷人者也,主殺,主害者,謹候虛風而避之,故聖人日避虛邪之道,如避矢石然,邪弗能害,此之謂也。

是故太一入徙立於中宮,乃朝八風,以占吉凶也。風從南方來,名曰大弱風,其傷人也,內舍於心,外在於脈,氣主熱。風從西南方來,名曰謀風,其傷人也,內舍於脾,外在於肌,其氣主為弱。風從西方來,名曰剛風,其傷人也,內舍於肺,外在於皮膚,其氣主為燥。風從西北方來,名曰折風,其傷人也,內舍於小腸,外在於手太陽脈,脈絕則溢,脈閉則結不通,善暴死。風從北方來,名曰大剛風,其傷人也,內舍於腎,外在於骨與肩背之膂筋,其氣主為寒也。風從東北方來,名曰凶風,其傷人也,內舍於大腸,外在於兩恢腋骨下及肢節。風從東方來,名曰嬰兒風,其傷人也,內舍於肝,外在於筋紐,其氣主為身濕。風從東南方來,名曰弱風,其傷人也,內舍於胃,外在肌肉,其氣主體重。此八風皆從其虛之鄉來,乃能病人,三虛相搏,則為暴病卒死,兩實一虛,病則為淋露寒熱。犯其雨濕之地,則為痿。故聖人避風,如避矢石焉。其有三虛而偏中於邪風,則為擊仆偏枯矣。

では霊枢に附属する図と易に附属する図も参考として掲載しておこうと思う。

他にも鍼灸大全に太乙人神歌というものがあり、そちらでも同じような事が書かれているので興味の有る人は大全を参照していただきたい。そして、鍼灸大全をどこで入手したのか私に教えて欲しい。以下がそれである。
立春,艮上,起天留、戊寅巳丑,左足求。春分,左脇,倉門震、乙卯日,見定為仇。立夏,戊辰,已巳巽、陰絡,宮中,左手愁。夏至,上天,丙辰日、正直,応喉,離首頭。立秋,玄委宮,右手、戊申己未,坤上遊。秋分,倉果,西方兌、辛酉,還従右脇謀。立冬,右足,加新洛、戊戌巳亥,乾位収。冬至,坎方,臨叶蟄、壬子,腰尻下竅流。五臓六腑,并臍腹、招遥諸戊巳,中州、潰治癰疽,当須避、犯其天忌,疾難瘳 。
瘳 は「ちょう」と読み病気が治るという意味や損なうという意味を持つので、まあ後は大体読解出来ると思う。
更に鍼灸聚英には冬至叶蟄宮説というものがある。
冬至叶蛰宫说:冬至叶蛰宫图周身之法.取九宫方位.离为上部.中五为中部.坎为下部.巽坤为二肩臂.皆仿此.按冬至叶蛰宫图.载于内经者.止言八方之气.有应其时而生物.违其时而生病.又刺痈曰.身有痈肿者.欲治之.无以其所直之日溃之.今曰诸针灸皆忌之.是与经旨不合.
九宮を人の体に見立てて方位を体のパーツに対応させている。図を見ろ的な物が書かれているが、この辺りは省略させていただく。ここまで行くと脱線し過ぎだと判断するからだ。

話は大分前後するが、標幽賦に戻ろう。四関だが、これは四つの関節とか連想しがちだが楊継州は合谷と太衝だとしている。これは関が「かんぬき」の意味を持ち、それが転じて関所を意味したことから「ものともののつなぎ目」となり関節を意味したわけだが、合谷も太衝も指の骨の狭間にある経穴であることから、こう呼んだのだろうと自分は推測した。四關者六臟。 六臟有十二原出於四關,太衝合谷是也。という一文からは四関は五蔵六府であり、五蔵六府は十二原穴に出てそれを四関とし、それはこの場合は太衝と合谷だというような解釈となろう。この解釈の根拠は霊枢に求めてみた。九針十二原第一篇で、霊枢の一番最初に書かれているので馴染み深いと思う。以下に抜粋する。
 
黃帝問於歧伯曰︰余子萬民,養百姓,而收租稅。余哀其不給,而屬有疾病。余欲勿使被毒藥,無用砭石,欲以微鍼通其經脈,調其血氣,榮其逆順出入之會。令可傳於後世,必明為之法令終而不滅,久而不絕,易用難忘,為之經紀。異其章, 別其表裏,為之終始。令各有形,先立鍼經,願聞其情。
歧伯答曰︰臣請推而次之,令有綱紀,始於一,終於九焉。請言其道。小鍼之要,易陳而難入,麤守形,上守神,神乎神,客在門,未呟其疾,惡知其原。 刺之微在速遲,麤守關,上守機,機之動,不離其空,空中之機,清靜而微,其來不可逢,其往不可追。知機之道者,不可掛以髮,不知機道,叩之不發,知其往來,要與之期,麤之闇乎,妙哉,工獨有之。往者為逆,來者為順,明知逆順,正行無間。逆而奪之,惡得無虛,追而濟之,惡得無實,迎之隨之,以意和之, 鍼道畢矣。
凡用鍼者,虛則實之,滿則泄之,宛陳則除之,邪勝則虛之,大要曰︰徐而疾則實,疾而徐則虛。言實與虛,若有若無,察後與先,若存若亡,為虛與實,若得若失。虛實之要,九鍼最妙,補寫之時,以鍼為之。寫曰必持內之,放而出之,排陽得鍼,邪氣得泄。按而引鍼,是謂內溫,血不得散,氣不得出也。補曰隨之,隨之, 意若妄之,若行若按,如蚊虞止,如留如還,去如弦絕,令左屬右,其氣故止,外門已閉,中氣乃實,必無留血,急取誅之。持鍼之道,堅者為寶,正指直刺,無鍼左右,神在秋毫,屬意病者,審視血脈者,刺之無殆。方刺之時,必在懸陽, 及與兩衛,神屬勿去,知病存亡。血脈者在腧膻居,視之獨澄,切之獨堅。
九鍼之名,各不同形。一曰鑱鍼,長一寸六分。二曰員鍼,長一寸六分。三曰鍉鍼,長三寸半。四曰鋒鍼,長一寸六分。五曰?鍼,長四寸,廣二分半。六曰員利鍼,長一寸六分。七曰毫鍼,長三寸六分。八曰長鍼,長七寸。九曰大鍼,長四寸。 鑱鍼者,頭大末銳,去寫陽氣。員鍼者,鍼如卵形,揩摩分間,不得傷肌肉,以寫分氣。鍉鍼者,鋒如黍粟之銳,主按脈勿陷,以致其氣。鋒鍼者, 刃三隅以發痼疾。?鍼者,末如劍鋒,以取大膿。員利鍼者,大如氂,且員且銳,中身微大,以取暴氣。毫鍼者,尖如嘘虞喙,靜以徐往,微以久留之,而養以取痛痹。長鍼者,鋒利身薄,可以取遠痹。大鍼者,尖如挺,其鋒微員,以寫機關之水也。 九鍼畢矣。
夫氣之在脈也,邪氣在上,濁氣在中,清氣在下。故鍼陷脈則邪氣出,鍼中脈則濁氣出,鍼大深則邪氣反沉病益。故曰︰皮肉筋脈,各有所處,病各有所宜, 各不同形,各以任其所宜,無實無虛,損不足而益有餘,是謂甚病,病益甚取五脈者死,取三脈者恇,奪陰者死,奪陽者狂,鍼害畢矣。刺之而氣不至,無問其數。刺之而氣至,乃去之,勿復鍼。鍼各有所宜,各不同形,各任其所, 為刺之要。氣至而有效,效之信,若風之吹雲,明乎若見蒼天,刺之道畢矣。
黃帝曰︰願聞五藏六府所出之處。
歧伯曰︰五藏五腧,五五二十五腧,六府六腧, 六六三十六腧,經脈十二,絡脈十五,凡二十七氣。以上下所出為井,所溜為滎,所注為腧,所行為經,所入為合,二十七氣所行,皆在五腧也。節之交, 三百六十五會,知其要者,一言而終,不知其要,流散無窮,所言節者,神氣之所遊行出入也,非皮肉筋骨也。觀其色,察其目,知其散復。一其形,聽其動靜,知其邪正。右主推之,左持而禦之,氣至而去之。凡將用鍼,必先診脈,視氣之劇易,乃可以治也。五藏之氣,已絕於內,而用鍼者,反實其外,是謂重竭,重竭必死,其死也靜,治之者,輒反其氣,取腋與膺。五藏之氣,已絕於外,而用鍼者,反實其內,是謂逆厥,逆厥則必死,其死也躁,治之者,反取四末刺之, 害中而不去則精泄,害中而去則致氣,精泄則病益甚而恇,致氣則生為癰瘍。
五藏有六府,六府有十二原,十二原出於四關,四關主治五藏,五藏有疾, 當取之十二原。十二原者,五藏之所以稟三百六十五節氣味也。五藏有疾也,應出十二原,十二原各有所出,明知其原,呟其應,而知五藏之害矣。陽中之少陰,肺也,其原出於太淵,太淵二。陽中之太陽,心也,其原出於大陵,大陵二, 陰中之少陽肝也,其原出於太衝,太衝二,陰中之至陰,脾也,其原出於太白,太白二。陰中之太陰,腎也,其原出於太谿,太谿二。膏之原,出於鳩尾,鳩尾一。肓之原。出於脖胦,脖胦一。凡此十二原者,主治五藏六府之有疾者也,脹取三陽, 飧泄取三陰。
今夫五藏之有疾也,譬猶刺也,猶污也,猶結也,猶閉也。刺雖久,猶可拔也。污雖久,猶可雪也。結雖久,猶可解也。筝雖久,猶可決也,或言久疾之不可取者,非其說也,夫善用鍼者,取其疾也,猶拔刺也,猶雪污也,猶解結也,猶決筝也,疾雖久,猶可畢也。言不可治者,未得其術也。刺諸熱者,如以手探湯。刺寒清者,如人不欲行。陰有陽疾者,取之下陵三里,正往無殆,氣下乃止,不下復始也。 疾高而內者,取之陰之陵泉。疾高而外者,取之陽之陵泉也。
最後から2番目のセンテンスに当該部分が有る。五藏有六府,六府有十二原,十二原出於四關,四關主治五藏とあり、五蔵に六腑があり、(五臓)六腑には十二の原穴があり、十二原穴は四関に出る。四関は五臓を主治する。と読み下せるので、之に習って十二原を原穴と解釈した。実際に霊枢でも陽中之少陰,肺也,其原出於太淵,太淵二。と原穴の紹介が続く。また、原穴は臓器の気が経絡に出る場所という解釈もここで述べられている。
ただ、 六臟有十二原出於四關の「出」という部分から井穴を考えるのも当然かと思う。とはいえ、ここでの合谷、太衝という具体的な経穴名が出てきていること、そして双方が原穴であることから井穴という解釈は自分は取らない事にしたと付記しておく。
更に付記しておくと、八風という単語に対して季節の風を充てたのは楊継州ではなく鍼灸大全である。以下に鍼灸大全に於ける該当部分を抜粋する。
拘攣者、筋脈之拘束也。閉塞者、気血不通也。八邪者、所以候八風之虚邪也。言疾有攣閉者、必駆散,八風之邪也
これは大成における注釈の冒頭部と同じだ。大全では後半部分の寒熱痺痛に関する部分は別のセンテンスとして扱っているため、少々短くなっているが内容的には大成は大全に従っていると考えられる。もっとも、大全において歌賦に注釈が入れてあるのが標幽賦ぐらい(何より手元に無いのでネット上での情報でしか確認出来ず、複数の版の比較はおろか内容の吟味すらままならないので断言ができない)なので、大成が大全を多いに参考にしていると考えても良さそうだ。これは全体にも言える事だ。同時に、この解釈は、あくまで大全→大成という流れの中での解釈という事が言える為、他の解釈もいくらでも可能だという事でもあろう。他の歌賦の注釈本を見ると八風は普通に阿是穴の八風を意味するとしてる物も多い。この差を「誤り」「こちらが正しい」といった二元論で語るべきではない。解釈の違いを二元論程度の判断に貶めてはならないと自分は考えている。