凡刺者、使本神朝而後入、既刺也、使本神定而気随、神不朝而勿刺、神已定而可施。
およそ刺す者は、本神を集めさせれば而して後に入れ、そのうえで刺す也。本神を定させれば而して気が付随し、(本)神を集めずにしてこれを刺さず、(本)神が定まればこれを施すべし。
凡用針者,必使患者精神已朝,而後方可入針,既刺之,必使患者精神纔定,而後施針行氣,若氣不朝,其針為輕滑,不知疼痛,如插豆腐者,莫與進之,必使之候,如神氣既至,針自緊澀,可與依法察虛實而施之。
ここでは針を「受ける側」について言及している。「使」という漢字を使役するという意味合いとして「〜させる」とする訳で、この歌賦の場合では受け身である立場は患者であろう。朝という部分は後で補足という形で触れてみたい。いくつか面白い逸話を聞いた事が有るので。
これは臨床でも時折見かける事だが、特に針が初めての患者様に多いのだが、気持ちが高ぶっていて落ち着かない状態のまま施術に入らざるを得ない時が有る。鍼灸治療というものが一般化しているとは言いがたい現在と異なり、竇漢卿が臨床に立っていた時代において治療と針はリンクしていて、何が行われるのかが相互理解の上に成り立っていたのだろうが、それでもなを、施術において受ける側の精神的な安定を求めている。今の治療においては尚更だろう。とはいえ時間的な束縛から常にベストな状態を作れないのも事実ではある。
ここからはあくまで個人の見解であり、一つの可能性という意味合いで読んでいただきたい。
臨床において施術をする際に、それを受ける側の精神状態が結果を左右しているのは確かだと思う。だからといって、つねに受ける方にベストのコンディションを要求するのも不可能だ。だが、経絡経穴を使った精神安定のいくつかは、ここでも何度も書いて来た。針を打つ前の処置として、それらを利用すると言うのは如何だろうか。受ける方の準備が整わずに、それゆえ針を打つ事が叶わないならマッサージでもよかろう、それらの安定に効果のある場所を使って落ち着いてもらうというのも鍼の施術の一つではないだろうか。また、単純にベッドに横たわってもらってから問診をするというだけでも大いに異なる筈だ。心の安定を自律神経の活動から推測するのだとすれば、横たわった状態に於いて心拍数や血圧が下さがる事が観察され、つまり副交感神経が亢進する事はエビデンスが有る訳で、それを利用するだけでも効果は上がるのではないだろうか。
東西の知識を混合することは決して罪悪でもなんでもないという考えが有れば、の話では有るが。
私個人のスタンスとしては、以前にも書いたように「治れば何でも良い」という至って単純な物であり、それ故に手段を選ぶつもりは無い。同時に、治す為には根拠を追求したい。なので東洋の分野であれば古典を読みたいと思うし、西洋の分野であればEBMに拘りたい。根拠が有り、それがメタ分析までされているのであれば再現性は高く、それは即ち「治る」のだから。本当はここで鍼灸EBMに関していくつか書きたい事が有るのだが、ここでは古典の話のみをしていく。



定脚処、取気血為主意
気血をとる主意を脚と定めし所、
言欲下針之時,必取陰陽氣血多少為主,詳見上文,
つぎの一文と対をなす文で、どちらかというとリズム重視の書き方がなされているので読み下しが意味をなさなくなっている。脚と手を対比させたりと韻を踏んでいたりするので厄介だ。内容は見ての通りで気血を扱う場所をしっかりと定めないと駄目だと言っている。楊継州も「上の文章を参照しろ」と投げ出しているのが面白い。繰り替えし言及されるのは大切だからだが、その一つ一つを分解整理する立場からは「しつこい」と言うしか無い。それでも、針をするときは気血陰陽の多少を必ず判断しろという一文は書かずにはいられなかったのだろう。
多少脱線するが、歌賦というものを少しだけ。
歌賦(かふ)は「歌」と「賦」の両方をまとめて表している。この二つの違いは表現方法で変わるものと言われているようだ。1行に費やされる文字数や韻を踏んでいる箇所などが厳密になり、リズムがしっかりしている物が「歌」であり、もう少し文章に近い形で表現され、リズムというよりも読みやすさや口ずさみやすさといった方向に振ったもの、より解りやすく書くとすれば散文詩に近い物が「賦」と言われている。標幽賦も題名通り「賦」の一種である。



下手処、認水木是根基。
下手をする所、水木を根基と認める。
下手,亦言用針也。 水者,母也。 木者,子也。 是水能生木也。 是故濟母裨其不足,奪子平其有餘此言用針必先認子母相生之義,舉水木而不及土金火者,省文也。
読み下し部分は上記の対となる。いきなり下手と出て来たが楊継州の注釈で「下手,亦言用針也」とされ下手=針を用いる事とされる。つまり、針をするのであれば水と木を根底に捉えて考えろという意味になる。さて、ここでの水、木だが、一気に五行に発想を飛ばして腎臓と肝臓の二つを考えるのも良いのだろうが、ここでは母子関係を抽象的に語っていると解釈されるのが一般的なようだ。つまり楊継州の注釈を優先させる(というか、この文章辺りの注釈は、ほぼ全部鍼灸大全からの写しなので、正確に楊継州とは言いがたいので注意。あえて言うならば大全→大成の流れを持つ解釈法と言うべきか)のが知られているようだ。詳細は注釈を見てもらえば良いのだが、簡単に訳すると水と木の関係は母子の関係で、水は木を補い、木の余りを水が平らげて奪うという関係になるので針を用いる場合はまず先に母子の関係を考えるのが大切で、それを説明したい為に水と木を例に出して、他の土金火は省いている、となる。
問題なのは竇漢卿が言いたかった母子関係は、一体どの母子関係か?となる。と、なると竇漢卿の記した本が散逸している現在では知るすべが無いのが残念だ。いくつか元の時代の稀本が手に入ったので、この時代の考え方を垣間見る事は出来るのだが、あくまで推測の域を脱しない。とはいえ、今までの文章の流れを考慮すると、竇漢卿しかり楊継州しかり、ともに黄帝内経の人体生理を基本に考えを展開しているので、母子関係はオーソドックスな母子関係であろうという推測は可能だろう。もう一度、前のセンテンスを転載する。
既論臓腑虚実、須向経尋。
臓腑の虚実を論じ、須く経を尋ねる
欲知臟腑之虛實,必先診其脈之盛衰,既知脈之盛衰,又必辨其經脈之上下,臟者,心肝脾肺腎也。 腑者,膽胃大小腸三焦膀胱也。如脈之衰弱者,其氣多虛,為癢為麻也。 脈之盛大者,其血多實,為腫為痛也。 然臟腑居位乎內,而經絡播行乎外,虛則補其母也。實則瀉其子也。若心病虛,則補肝木也。 實則瀉脾土也。 至於本經之中,而亦有子母焉,假如心之虛者,取本經少衝以補之,少衝者,井木也。 木能生火也。實取神門以瀉之,神門者,俞土也。 火能生土也。 諸經莫不皆然,要之不離乎五行相生之理,當細思之
こちらの注釈の中盤から最後にかけてを少し訳してみる。
 
然臟腑居位乎內,而經絡播行乎外,虛則補其母也。
しかるに臓腑は体内にあり、而して経絡は体外を伝播してゆき、虚すれば即ちその母を補うなり。
實則瀉其子也。若心病虛,則補肝木也。 實則瀉脾土也。
実すれば即ちその子を瀉し、もし心の虚病であれば、即ち肝木を補うなり。実であれば即ち脾土を瀉すなり。
至於本經之中,而亦有子母焉,假如心之虛者,取本經少衝以補之
本経の中に至り、而してまた子母をなし、心の虚のごとく者であれば、本経の少衝を捕りてこれを補う
少衝者,井木也。木能生火也。
少衝は井木なり。木より火が生まれるなり。
實取神門以瀉之,神門者,俞土也。火能生土也。
実であれば神門を取りこれを瀉す 神門は兪土なり。火より土が生まれるなり。
諸經莫不皆然,要之不離乎五行相生之理,當細思之
諸経は皆然り、これ五行の相生の理を離れず、細思に之に当たれ。
 
というような読み下しとなるのではないか?と考えている。
ここで大全→大成の解釈では自経内での母子関係から取穴を行う一例を出している。心経の少衝と神門の五行に於ける母子関係がそれだ。この例においての取穴から治療までの一連を順に見て行くと、何らかの判断から心の虚として病状が判明した→それに伴い治療する経絡を定める。この場合の最初に選択されたものは心経である。その根拠として、臓腑は経絡に繋がり、経絡は体表を広がるように走行しているから、とある。経絡にアクセスすることで臓腑にアクセスすると考えるのが大全→大成の考え方なのだから、心という臓腑の病状であるいじょう、心経に取穴するわけだ。もちろん、今の日本に多数ある治療法では、この考えは原始的とするものも有ろう。実際に心経を使うのを極端に避ける人も居る事を知っているし、心臓を補うのであれば肝経を使う人たちも多かろう。だか、ここで知りたいのはあくまでも大全→大成の注釈による母子関係であるので、それに終始する。次に取穴だが、ここで初めて五行の観念が使用される。つまり、1:病んでいる臓腑を特定する 2:その臓腑に連絡する経絡を選択する 3:その経絡に於ける五兪穴を考慮し母子関係を利用した取穴を行う という流れである。
では当然の疑問として「注釈を書いた楊継州の考え方はわかったが、竇漢卿自身はどうだったのだろう?」というものが浮上する。ここで扱われている大元の題材である標幽賦を書いたのは竇漢卿だ。そこで竇漢卿の残した書で、いくつか現存しているものを便りに推測すると、彼の鍼灸に関する物で針経指南というものがあると以前にも書いた。これが中国のサイトで全文アップされているのが確認されたのでURLを参考までにリンクしておく。
http://www.zysj.com.cn/lilunshuji/zhenjingzhinan/index.html
こちらを見ていただくと、彼が症状にたいして臓腑を特定してから配穴をしていた痕跡が見えて来る。後のセンテンスの分析で全文掲載する定八穴所在などを参考にされたい。経穴の対応する症状に臓腑も書き加えてあるのが見て取れるだろう。もちろん、標幽賦でも「既論臓腑虚実、須向経尋」臓腑の虚実を論じ、須く経を尋ねると書いてある訳で、他の表記が症状→配穴であったとしても、それは「既論臓腑虚実、須向経尋」という考え方を基盤としての発展ではないかと思う。事実、針経指南において真っ先に書かれたのは標幽賦なのだから、これを基本に後の文章を読んで欲しいという事ではないかと推測するのは大きく間違えているとは思えない。
この一連を考慮した上で、再度標幽賦のセンテンスに戻ると解りやすいのではないかと考えている。