もう少し細かく奇経八脈歌を見るべきだろうと思い、もう一度分解する事にした。個人的には前回の補足で充分だろうと思ったのだが、やはり書かれている内容が重要であるので、どこまで細分化してもしすぎる事は有るまいという判断をした。事実、奇経の流注と要穴が実に簡略に纏まっているし、これは空で歌えるようになるべき!とも言えるのではないかと思っている。それと難経の二十八難は既に読んでいるという前提で書いておく。


奇經八脈歌 醫經小學
奇経八脈歌 「医経小学」
題名である。医経小学にかんしては前の通りで、劉純という人が1388年(明の時代、洪武21年)に表した書物が初出であり、その本からの抜粋であると言う意味だ。


督脈起自下極腧, 並於脊裏上風府, 過腦額鼻入齗交, 為陽脈海都綱要,
督脈は自ら下極兪から起こり、並びて背裏を風府にのぼり、脳、額を過ぎて齗交より鼻に入り、陽脈の海を成し都の要綱となる
督脈の流注に関して記されている。一応書かれている通りで下極兪と読んだが、これが所謂奇穴の下極兪では無いことは解ってもらえると思う。これは体幹の一番下の兪穴という意味で長強を指す。背裏を並び、という部分は普通に背骨の裏を背骨と共に、という解釈で良いと思う。そして風府穴の所まで上行する。ここから頭に入り、脳、額、鼻と繋がり齗交穴で終わる。それぞれの取穴に関しては、教科書とは多少異なる部分が有るのだが、そこまで言及するのは広げすぎるので専門書を参考にして頂きたい。日本で使われている取穴とは少し異なる部分が有るので、数多有る専門サイトも余り参考にならない事が確認されている。

針灸学 (経穴篇)

針灸学 (経穴篇)

こちらが詳しい。あと、大成にも取穴は書かれているので、そちらを参考にしてもらえると更に解りやすいと思う。
人体を大きく陰陽に分けた時に背中が陽となり腹が陰となるので、督脈は背中を大きく上に行くことから陽脈の海という別名を持つ。これは他の陽脈と多数連絡するという意味も持つのだろう。奇経自体が十二正経を補完するものとして十二正経に連絡していて、こちらからあふれた気血の退避のような作用を持つことからも、海という表現が使われるのであろう。そして、督脈が陽の脈の要綱であるとしている。
 
 
任脈起於中極底, 上腹循咽承漿裏, 陰脈之海贝(あるいは妊)所謂。
任脈は中極の底より起こり、腹を上り喉を循り承漿の裏へ、陰脈の海となり妊娠する所と謂う。
貝に関する所は妊として読んで行く。任脈の走行としては中極の底という場所から起こると書かれている。これは会陰穴を表している。任脈は腹を上って行き、咽(のど)を巡って承漿穴に行く。督脈が陽脈の海であるように、任脈は陰脈の海という扱いになる。また、妊娠に大きく関与するとされる。
 
 
衝脈出胞循脊中, 從腹會咽絡口唇,
衝脈は胞より出て脊中を循り、腹に従って咽を連絡して口唇に会い、
衝脈の流注だが、こちらは胞から出るとある。この胞は女子胞の子宮だろう。じゃあ男性は?となる訳だが、こちらは特には記されていない。ただ、難経の二十八難には衝脈者,起於氣沖,並足陽明之經,夾齊上行,至胸中而散也。とあり、気衝穴から起こり、とあるので女性なら子宮を、場所としては気衝穴を起源とするというように考えておくのが良いのかもしれない。次の脊中を循り、という部分は深度と解釈出来そうだ。相当深い場所を行くということだろう。そして腹を口唇まで上って行く。衝脈はここまで見た通り、女子胞を介して任脈と、気衝を介して足陽明胃経と連絡している。これに先天の腎経、女子先天の肝経がそろうと婦人科疾患の主な治療取穴が完成するわけだが、それは余談だろう。
では前回に同時に抜粋した奇経八脈(簡要)のほうも少し見ておくと、こちらには衝脈を構成する経穴が書かれている。では、こちらの方の詳細を少しだけ。簡要と書いてあるが、これは節要の事だ。鍼灸節要という書物からの転載ということで、こちらは1529年に明の高武が編纂したものという。高武という人は他にも鍼灸聚英を書いた人として知られている。では経穴部分を抜粋してみる。前文は前回の補足を参考にしてもらいたい。
然則衝脈並足少陰之經明矣! 幽門巨闕旁 通谷上脘旁 陰都通谷下 石關陰都旁 商曲 石關下 肓俞商曲下 中注肓俞下 四滿中柱下 氣穴四滿下 大赫氣穴下 膻骨大赫下
然して則ち衝脈は足の少陰の経と並ぶのは明らかなり!幽門はつまり巨闕の傍ら、 通谷はつまり上脘のかたわら、陰都はつまり通谷の下、石関はつまり陰都の傍ら、商曲はつまり石関の下、肓俞はつまり商曲の下、中注はつまり肓俞の下、四満はつまり中柱の下、気穴はつまり四満の下、大赫はつまり気穴の下、横骨はつまり大赫の下なり。
ということで経穴としては全て腎経である。つまり腎経の腹部から胸部にかけての経穴の11(×2)箇所が衝脈であり、腎経との違いは深度という事なのだろう。
 
 
女人成經為血室, 脈並少陰之腎經, 與任督本於陰會, 三脈並起而異行。
女人は経を為す血室を成し、少陰腎経の脈に並び、任督を与る会陰を本とし、三脈は並びて起こるも異なるを行く。
ということで、女性の場合は月経を作り出す血室を形成するという事で、それを形成する三つが列挙される。この血室だが、普通に考えれば子宮を指すのだろう。熱入血室なんて言葉を聞いた事も有るだろう。さて、衝脈だが三つの脈の腎経、任脈、督脈とも関わると言う。つまり、腹を巡って咽まで上に上がるのは腎経と並んで行き、衝脈が起こる場所と会陰も繋がるので任脈督脈とも連絡するわけだ。つまり、衝脈はこれらと綿密に連絡していると言う。だが、ここで挙げられた三つの脈は並びて起こるも異なるを行くわけだ。走行まで同じじゃないと言う事だ。
 
 
陽蹻起自足跟裏, 循外踝上入風池。
陽蹻は足跟の裏に起こり、外踝を循り上り風池に入る。
さて陽蹻脈だが、これは足跟(そくげん)の裏より起こるということで足跟という場所が問題になる。仏教の三十二相に足跟広平相なんてのがあり、仏様のカカトは平らだとされるのだが、そこからも解るように踵を意味する。つまり踵の裏から起こる。この歌もそうなのだが、難経の方も陽蹻脈者,起於跟中,循外踝上行,入風池。と書かれているだけで経穴として明示されているものは風池のみという状態だ。そこで節要からの転載を見てみることにすると、こちらには具体的に書いてある。
申脈外踝下 僕參跟骨上 附陽外跟上 居壷章門下 肩襖肩端 巨骨肩端 臑俞肩襖後甲骨上廉 地倉口吻旁 巨壷鼻兩旁 承江目下七分
読み下しは不要だろう。
 
 
陰蹻內踝循喉嗌, 本足陰陽脈別支, 諸陰交起陰維脈, 發足少陰築賓鹸。
陰蹻は内踝を循り喉へ、足陰陽脈の本の別支で、陰維脈は諸陰が交わり、足少陰より発して築賓は郄穴
陰蹻脈だが節要のほうを見ると4穴で照海內踝下 交信內踝上と書かれている。陰蹻脈の大切な部分は経穴のつながりと言うより、他の経絡との関連なのだろう。陰蹻脈は内踝を巡ってから喉に向かって上に行き、足の陰陽脈の別の支流となっている、とある。陰蹻脈は足を走行する正経を繋ぐ支流であり、それは喉にむかって上にのびて行くもので、連絡する経穴は照海と交信だということだろう。交信にかんしては節要で次の一文が有る。
而陰蹻之鹸在交信, 陰蹻病者取此,
鹸は郄だということで、郄穴を意味している。そこで陰蹻の郄穴は交信に在り、陰蹻病の物は此れを取るという。ちなみに陽蹻には鹸於附陽,とあり附陽が陽蹻の郄穴であると記されている。奇経八脈のなかでは陽蹻、陰蹻、陽維、陰維に郄穴があるとされる。
つぎに陰維脈が書かれるわけだが、具体的な経穴は築賓が出ているだけだ。これは陰維の郄穴である。こちらも経穴に関しては節要を見て行く。 築賓內踝上 腹哀日月下 大膻腹哀下 府舍腹結下 期門乳下 天突結喉下 廉泉結喉下ということで、6穴の左右で12穴が書かれている。陰維脈は全ての陰を繋ぐものとして機能しているとされている。
 
 
諸陽會起陽維脈, 太陽之鹸金門穴, 帶脈周迴季恢間,
諸陽の会は陽維脈より起こり、太陽の金門穴が郄穴、帯脈は季肋間を周回し
陽維脈は陰維と対を成し、こちらは陽の脈を繋いでいるものだ。郄穴として足の太陽膀胱経の郄穴である金門が挙げられている。少々面倒なのだが、金門は足の太陽膀胱経の郄穴であって陽維脈の郄穴ではない。こちらは節要の方を見ておく必要がある。鹸於陽交と書かれているように、郄穴は陽交穴だ。では具体的な経穴を見る。
金門足外踝下 陽交外踝上 臑俞肩後甲上 臑會肩前廉 天壷(天髎)缺盆上 肩井肩頭上 陽白眉上 本神曲差傍 臨泣目上 目窗後臨泣後 正營目窗後 承營正營後 腦空 承靈後 風池腦空下 日月期門下 風府 巌門(瘂門)
と言う事で体の側部を上に上り、肩から側頭部を抜けて前頭部から後頭部にぐるりと巡る長距離が陽維脈となる。
最後に帯脈だが、これは腹をぐるりと横断して行く。
帶脈季恢下一寸八分 五樞帶脈下三寸 維道章門下五寸三分
帯脈、五枢、維道の左右で6穴が帯脈だ。
 
 
會於維道足少陽, 所謂奇經之八脈, 維繫諸經乃順常。
足少陽の維道にて会い、所謂奇経八脈は、諸経を繋ぐことを常とする。
帯脈は足の少陽と維道穴にて連絡していると書いてある。
そして最後に奇経の八脈は、諸々の経絡を繋ぐ事がその主な生理であるとして締めている。さらに詳細に生理や流注を知ろうとするのであれば黄帝内経、難経、奇経八脈考といった書物を参考にするべきだろう。しかし、ここでのテーマとずれるので、ここでは扱わない。