雑談

どうにも花粉症によってやっつけられてしまい、余り作業が進まないので今回は少しだけ余談を書いておこうと思う。個人的な気分転換でもある。
 

この画像は大成に挿絵として書かれていた物をデータに起こしたものとなる。今回は任脈と督脈の二つを掲載してみた。昨今、このサイトに関連するワードとして任脈と督脈が関連づけられているらしいと知ったので、よほど知りたかったのかと思い、一応載せてみた。楽しんでもらえたら幸いだ。
 


凡刺者、使本神朝而後入、既刺也、使本神定而気随、神不朝而勿刺、神已定而可施。
およそ刺す者は、本神を集めさせれば而して後に入れ、そのうえで刺す也。本神を定させれば而して気が付随し、(本)神を集めずにしてこれを刺さず、(本)神が定まればこれを施すべし。
凡用針者,必使患者精神已朝,而後方可入針,既刺之,必使患者精神纔定,而後施針行氣,若氣不朝,其針為輕滑,不知疼痛,如插豆腐者,莫與進之,必使之候,如神氣既至,針自緊澀,可與依法察虛實而施之。
ここでは針を「受ける側」について言及している。「使」という漢字を使役するという意味合いとして「〜させる」とする訳で、この歌賦の場合では受け身である立場は患者であろう。朝という部分は後で補足という形で触れてみたい。いくつか面白い逸話を聞いた事が有るので。
これは臨床でも時折見かける事だが、特に針が初めての患者様に多いのだが、気持ちが高ぶっていて落ち着かない状態のまま施術に入らざるを得ない時が有る。鍼灸治療というものが一般化しているとは言いがたい現在と異なり、竇漢卿が臨床に立っていた時代において治療と針はリンクしていて、何が行われるのかが相互理解の上に成り立っていたのだろうが、それでもなを、施術において受ける側の精神的な安定を求めている。今の治療においては尚更だろう。とはいえ時間的な束縛から常にベストな状態を作れないのも事実ではある。
ここからはあくまで個人の見解であり、一つの可能性という意味合いで読んでいただきたい。
臨床において施術をする際に、それを受ける側の精神状態が結果を左右しているのは確かだと思う。だからといって、つねに受ける方にベストのコンディションを要求するのも不可能だ。だが、経絡経穴を使った精神安定のいくつかは、ここでも何度も書いて来た。針を打つ前の処置として、それらを利用すると言うのは如何だろうか。受ける方の準備が整わずに、それゆえ針を打つ事が叶わないならマッサージでもよかろう、それらの安定に効果のある場所を使って落ち着いてもらうというのも鍼の施術の一つではないだろうか。また、単純にベッドに横たわってもらってから問診をするというだけでも大いに異なる筈だ。心の安定を自律神経の活動から推測するのだとすれば、横たわった状態に於いて心拍数や血圧が下さがる事が観察され、つまり副交感神経が亢進する事はエビデンスが有る訳で、それを利用するだけでも効果は上がるのではないだろうか。
東西の知識を混合することは決して罪悪でもなんでもないという考えが有れば、の話では有るが。
私個人のスタンスとしては、以前にも書いたように「治れば何でも良い」という至って単純な物であり、それ故に手段を選ぶつもりは無い。同時に、治す為には根拠を追求したい。なので東洋の分野であれば古典を読みたいと思うし、西洋の分野であればEBMに拘りたい。根拠が有り、それがメタ分析までされているのであれば再現性は高く、それは即ち「治る」のだから。本当はここで鍼灸EBMに関していくつか書きたい事が有るのだが、ここでは古典の話のみをしていく。



定脚処、取気血為主意
気血をとる主意を脚と定めし所、
言欲下針之時,必取陰陽氣血多少為主,詳見上文,
つぎの一文と対をなす文で、どちらかというとリズム重視の書き方がなされているので読み下しが意味をなさなくなっている。脚と手を対比させたりと韻を踏んでいたりするので厄介だ。内容は見ての通りで気血を扱う場所をしっかりと定めないと駄目だと言っている。楊継州も「上の文章を参照しろ」と投げ出しているのが面白い。繰り替えし言及されるのは大切だからだが、その一つ一つを分解整理する立場からは「しつこい」と言うしか無い。それでも、針をするときは気血陰陽の多少を必ず判断しろという一文は書かずにはいられなかったのだろう。
多少脱線するが、歌賦というものを少しだけ。
歌賦(かふ)は「歌」と「賦」の両方をまとめて表している。この二つの違いは表現方法で変わるものと言われているようだ。1行に費やされる文字数や韻を踏んでいる箇所などが厳密になり、リズムがしっかりしている物が「歌」であり、もう少し文章に近い形で表現され、リズムというよりも読みやすさや口ずさみやすさといった方向に振ったもの、より解りやすく書くとすれば散文詩に近い物が「賦」と言われている。標幽賦も題名通り「賦」の一種である。



下手処、認水木是根基。
下手をする所、水木を根基と認める。
下手,亦言用針也。 水者,母也。 木者,子也。 是水能生木也。 是故濟母裨其不足,奪子平其有餘此言用針必先認子母相生之義,舉水木而不及土金火者,省文也。
読み下し部分は上記の対となる。いきなり下手と出て来たが楊継州の注釈で「下手,亦言用針也」とされ下手=針を用いる事とされる。つまり、針をするのであれば水と木を根底に捉えて考えろという意味になる。さて、ここでの水、木だが、一気に五行に発想を飛ばして腎臓と肝臓の二つを考えるのも良いのだろうが、ここでは母子関係を抽象的に語っていると解釈されるのが一般的なようだ。つまり楊継州の注釈を優先させる(というか、この文章辺りの注釈は、ほぼ全部鍼灸大全からの写しなので、正確に楊継州とは言いがたいので注意。あえて言うならば大全→大成の流れを持つ解釈法と言うべきか)のが知られているようだ。詳細は注釈を見てもらえば良いのだが、簡単に訳すると水と木の関係は母子の関係で、水は木を補い、木の余りを水が平らげて奪うという関係になるので針を用いる場合はまず先に母子の関係を考えるのが大切で、それを説明したい為に水と木を例に出して、他の土金火は省いている、となる。
問題なのは竇漢卿が言いたかった母子関係は、一体どの母子関係か?となる。と、なると竇漢卿の記した本が散逸している現在では知るすべが無いのが残念だ。いくつか元の時代の稀本が手に入ったので、この時代の考え方を垣間見る事は出来るのだが、あくまで推測の域を脱しない。とはいえ、今までの文章の流れを考慮すると、竇漢卿しかり楊継州しかり、ともに黄帝内経の人体生理を基本に考えを展開しているので、母子関係はオーソドックスな母子関係であろうという推測は可能だろう。もう一度、前のセンテンスを転載する。
既論臓腑虚実、須向経尋。
臓腑の虚実を論じ、須く経を尋ねる
欲知臟腑之虛實,必先診其脈之盛衰,既知脈之盛衰,又必辨其經脈之上下,臟者,心肝脾肺腎也。 腑者,膽胃大小腸三焦膀胱也。如脈之衰弱者,其氣多虛,為癢為麻也。 脈之盛大者,其血多實,為腫為痛也。 然臟腑居位乎內,而經絡播行乎外,虛則補其母也。實則瀉其子也。若心病虛,則補肝木也。 實則瀉脾土也。 至於本經之中,而亦有子母焉,假如心之虛者,取本經少衝以補之,少衝者,井木也。 木能生火也。實取神門以瀉之,神門者,俞土也。 火能生土也。 諸經莫不皆然,要之不離乎五行相生之理,當細思之
こちらの注釈の中盤から最後にかけてを少し訳してみる。
 
然臟腑居位乎內,而經絡播行乎外,虛則補其母也。
しかるに臓腑は体内にあり、而して経絡は体外を伝播してゆき、虚すれば即ちその母を補うなり。
實則瀉其子也。若心病虛,則補肝木也。 實則瀉脾土也。
実すれば即ちその子を瀉し、もし心の虚病であれば、即ち肝木を補うなり。実であれば即ち脾土を瀉すなり。
至於本經之中,而亦有子母焉,假如心之虛者,取本經少衝以補之
本経の中に至り、而してまた子母をなし、心の虚のごとく者であれば、本経の少衝を捕りてこれを補う
少衝者,井木也。木能生火也。
少衝は井木なり。木より火が生まれるなり。
實取神門以瀉之,神門者,俞土也。火能生土也。
実であれば神門を取りこれを瀉す 神門は兪土なり。火より土が生まれるなり。
諸經莫不皆然,要之不離乎五行相生之理,當細思之
諸経は皆然り、これ五行の相生の理を離れず、細思に之に当たれ。
 
というような読み下しとなるのではないか?と考えている。
ここで大全→大成の解釈では自経内での母子関係から取穴を行う一例を出している。心経の少衝と神門の五行に於ける母子関係がそれだ。この例においての取穴から治療までの一連を順に見て行くと、何らかの判断から心の虚として病状が判明した→それに伴い治療する経絡を定める。この場合の最初に選択されたものは心経である。その根拠として、臓腑は経絡に繋がり、経絡は体表を広がるように走行しているから、とある。経絡にアクセスすることで臓腑にアクセスすると考えるのが大全→大成の考え方なのだから、心という臓腑の病状であるいじょう、心経に取穴するわけだ。もちろん、今の日本に多数ある治療法では、この考えは原始的とするものも有ろう。実際に心経を使うのを極端に避ける人も居る事を知っているし、心臓を補うのであれば肝経を使う人たちも多かろう。だか、ここで知りたいのはあくまでも大全→大成の注釈による母子関係であるので、それに終始する。次に取穴だが、ここで初めて五行の観念が使用される。つまり、1:病んでいる臓腑を特定する 2:その臓腑に連絡する経絡を選択する 3:その経絡に於ける五兪穴を考慮し母子関係を利用した取穴を行う という流れである。
では当然の疑問として「注釈を書いた楊継州の考え方はわかったが、竇漢卿自身はどうだったのだろう?」というものが浮上する。ここで扱われている大元の題材である標幽賦を書いたのは竇漢卿だ。そこで竇漢卿の残した書で、いくつか現存しているものを便りに推測すると、彼の鍼灸に関する物で針経指南というものがあると以前にも書いた。これが中国のサイトで全文アップされているのが確認されたのでURLを参考までにリンクしておく。
http://www.zysj.com.cn/lilunshuji/zhenjingzhinan/index.html
こちらを見ていただくと、彼が症状にたいして臓腑を特定してから配穴をしていた痕跡が見えて来る。後のセンテンスの分析で全文掲載する定八穴所在などを参考にされたい。経穴の対応する症状に臓腑も書き加えてあるのが見て取れるだろう。もちろん、標幽賦でも「既論臓腑虚実、須向経尋」臓腑の虚実を論じ、須く経を尋ねると書いてある訳で、他の表記が症状→配穴であったとしても、それは「既論臓腑虚実、須向経尋」という考え方を基盤としての発展ではないかと思う。事実、針経指南において真っ先に書かれたのは標幽賦なのだから、これを基本に後の文章を読んで欲しいという事ではないかと推測するのは大きく間違えているとは思えない。
この一連を考慮した上で、再度標幽賦のセンテンスに戻ると解りやすいのではないかと考えている。

もう少し細かく奇経八脈歌を見るべきだろうと思い、もう一度分解する事にした。個人的には前回の補足で充分だろうと思ったのだが、やはり書かれている内容が重要であるので、どこまで細分化してもしすぎる事は有るまいという判断をした。事実、奇経の流注と要穴が実に簡略に纏まっているし、これは空で歌えるようになるべき!とも言えるのではないかと思っている。それと難経の二十八難は既に読んでいるという前提で書いておく。


奇經八脈歌 醫經小學
奇経八脈歌 「医経小学」
題名である。医経小学にかんしては前の通りで、劉純という人が1388年(明の時代、洪武21年)に表した書物が初出であり、その本からの抜粋であると言う意味だ。


督脈起自下極腧, 並於脊裏上風府, 過腦額鼻入齗交, 為陽脈海都綱要,
督脈は自ら下極兪から起こり、並びて背裏を風府にのぼり、脳、額を過ぎて齗交より鼻に入り、陽脈の海を成し都の要綱となる
督脈の流注に関して記されている。一応書かれている通りで下極兪と読んだが、これが所謂奇穴の下極兪では無いことは解ってもらえると思う。これは体幹の一番下の兪穴という意味で長強を指す。背裏を並び、という部分は普通に背骨の裏を背骨と共に、という解釈で良いと思う。そして風府穴の所まで上行する。ここから頭に入り、脳、額、鼻と繋がり齗交穴で終わる。それぞれの取穴に関しては、教科書とは多少異なる部分が有るのだが、そこまで言及するのは広げすぎるので専門書を参考にして頂きたい。日本で使われている取穴とは少し異なる部分が有るので、数多有る専門サイトも余り参考にならない事が確認されている。

針灸学 (経穴篇)

針灸学 (経穴篇)

こちらが詳しい。あと、大成にも取穴は書かれているので、そちらを参考にしてもらえると更に解りやすいと思う。
人体を大きく陰陽に分けた時に背中が陽となり腹が陰となるので、督脈は背中を大きく上に行くことから陽脈の海という別名を持つ。これは他の陽脈と多数連絡するという意味も持つのだろう。奇経自体が十二正経を補完するものとして十二正経に連絡していて、こちらからあふれた気血の退避のような作用を持つことからも、海という表現が使われるのであろう。そして、督脈が陽の脈の要綱であるとしている。
 
 
任脈起於中極底, 上腹循咽承漿裏, 陰脈之海贝(あるいは妊)所謂。
任脈は中極の底より起こり、腹を上り喉を循り承漿の裏へ、陰脈の海となり妊娠する所と謂う。
貝に関する所は妊として読んで行く。任脈の走行としては中極の底という場所から起こると書かれている。これは会陰穴を表している。任脈は腹を上って行き、咽(のど)を巡って承漿穴に行く。督脈が陽脈の海であるように、任脈は陰脈の海という扱いになる。また、妊娠に大きく関与するとされる。
 
 
衝脈出胞循脊中, 從腹會咽絡口唇,
衝脈は胞より出て脊中を循り、腹に従って咽を連絡して口唇に会い、
衝脈の流注だが、こちらは胞から出るとある。この胞は女子胞の子宮だろう。じゃあ男性は?となる訳だが、こちらは特には記されていない。ただ、難経の二十八難には衝脈者,起於氣沖,並足陽明之經,夾齊上行,至胸中而散也。とあり、気衝穴から起こり、とあるので女性なら子宮を、場所としては気衝穴を起源とするというように考えておくのが良いのかもしれない。次の脊中を循り、という部分は深度と解釈出来そうだ。相当深い場所を行くということだろう。そして腹を口唇まで上って行く。衝脈はここまで見た通り、女子胞を介して任脈と、気衝を介して足陽明胃経と連絡している。これに先天の腎経、女子先天の肝経がそろうと婦人科疾患の主な治療取穴が完成するわけだが、それは余談だろう。
では前回に同時に抜粋した奇経八脈(簡要)のほうも少し見ておくと、こちらには衝脈を構成する経穴が書かれている。では、こちらの方の詳細を少しだけ。簡要と書いてあるが、これは節要の事だ。鍼灸節要という書物からの転載ということで、こちらは1529年に明の高武が編纂したものという。高武という人は他にも鍼灸聚英を書いた人として知られている。では経穴部分を抜粋してみる。前文は前回の補足を参考にしてもらいたい。
然則衝脈並足少陰之經明矣! 幽門巨闕旁 通谷上脘旁 陰都通谷下 石關陰都旁 商曲 石關下 肓俞商曲下 中注肓俞下 四滿中柱下 氣穴四滿下 大赫氣穴下 膻骨大赫下
然して則ち衝脈は足の少陰の経と並ぶのは明らかなり!幽門はつまり巨闕の傍ら、 通谷はつまり上脘のかたわら、陰都はつまり通谷の下、石関はつまり陰都の傍ら、商曲はつまり石関の下、肓俞はつまり商曲の下、中注はつまり肓俞の下、四満はつまり中柱の下、気穴はつまり四満の下、大赫はつまり気穴の下、横骨はつまり大赫の下なり。
ということで経穴としては全て腎経である。つまり腎経の腹部から胸部にかけての経穴の11(×2)箇所が衝脈であり、腎経との違いは深度という事なのだろう。
 
 
女人成經為血室, 脈並少陰之腎經, 與任督本於陰會, 三脈並起而異行。
女人は経を為す血室を成し、少陰腎経の脈に並び、任督を与る会陰を本とし、三脈は並びて起こるも異なるを行く。
ということで、女性の場合は月経を作り出す血室を形成するという事で、それを形成する三つが列挙される。この血室だが、普通に考えれば子宮を指すのだろう。熱入血室なんて言葉を聞いた事も有るだろう。さて、衝脈だが三つの脈の腎経、任脈、督脈とも関わると言う。つまり、腹を巡って咽まで上に上がるのは腎経と並んで行き、衝脈が起こる場所と会陰も繋がるので任脈督脈とも連絡するわけだ。つまり、衝脈はこれらと綿密に連絡していると言う。だが、ここで挙げられた三つの脈は並びて起こるも異なるを行くわけだ。走行まで同じじゃないと言う事だ。
 
 
陽蹻起自足跟裏, 循外踝上入風池。
陽蹻は足跟の裏に起こり、外踝を循り上り風池に入る。
さて陽蹻脈だが、これは足跟(そくげん)の裏より起こるということで足跟という場所が問題になる。仏教の三十二相に足跟広平相なんてのがあり、仏様のカカトは平らだとされるのだが、そこからも解るように踵を意味する。つまり踵の裏から起こる。この歌もそうなのだが、難経の方も陽蹻脈者,起於跟中,循外踝上行,入風池。と書かれているだけで経穴として明示されているものは風池のみという状態だ。そこで節要からの転載を見てみることにすると、こちらには具体的に書いてある。
申脈外踝下 僕參跟骨上 附陽外跟上 居壷章門下 肩襖肩端 巨骨肩端 臑俞肩襖後甲骨上廉 地倉口吻旁 巨壷鼻兩旁 承江目下七分
読み下しは不要だろう。
 
 
陰蹻內踝循喉嗌, 本足陰陽脈別支, 諸陰交起陰維脈, 發足少陰築賓鹸。
陰蹻は内踝を循り喉へ、足陰陽脈の本の別支で、陰維脈は諸陰が交わり、足少陰より発して築賓は郄穴
陰蹻脈だが節要のほうを見ると4穴で照海內踝下 交信內踝上と書かれている。陰蹻脈の大切な部分は経穴のつながりと言うより、他の経絡との関連なのだろう。陰蹻脈は内踝を巡ってから喉に向かって上に行き、足の陰陽脈の別の支流となっている、とある。陰蹻脈は足を走行する正経を繋ぐ支流であり、それは喉にむかって上にのびて行くもので、連絡する経穴は照海と交信だということだろう。交信にかんしては節要で次の一文が有る。
而陰蹻之鹸在交信, 陰蹻病者取此,
鹸は郄だということで、郄穴を意味している。そこで陰蹻の郄穴は交信に在り、陰蹻病の物は此れを取るという。ちなみに陽蹻には鹸於附陽,とあり附陽が陽蹻の郄穴であると記されている。奇経八脈のなかでは陽蹻、陰蹻、陽維、陰維に郄穴があるとされる。
つぎに陰維脈が書かれるわけだが、具体的な経穴は築賓が出ているだけだ。これは陰維の郄穴である。こちらも経穴に関しては節要を見て行く。 築賓內踝上 腹哀日月下 大膻腹哀下 府舍腹結下 期門乳下 天突結喉下 廉泉結喉下ということで、6穴の左右で12穴が書かれている。陰維脈は全ての陰を繋ぐものとして機能しているとされている。
 
 
諸陽會起陽維脈, 太陽之鹸金門穴, 帶脈周迴季恢間,
諸陽の会は陽維脈より起こり、太陽の金門穴が郄穴、帯脈は季肋間を周回し
陽維脈は陰維と対を成し、こちらは陽の脈を繋いでいるものだ。郄穴として足の太陽膀胱経の郄穴である金門が挙げられている。少々面倒なのだが、金門は足の太陽膀胱経の郄穴であって陽維脈の郄穴ではない。こちらは節要の方を見ておく必要がある。鹸於陽交と書かれているように、郄穴は陽交穴だ。では具体的な経穴を見る。
金門足外踝下 陽交外踝上 臑俞肩後甲上 臑會肩前廉 天壷(天髎)缺盆上 肩井肩頭上 陽白眉上 本神曲差傍 臨泣目上 目窗後臨泣後 正營目窗後 承營正營後 腦空 承靈後 風池腦空下 日月期門下 風府 巌門(瘂門)
と言う事で体の側部を上に上り、肩から側頭部を抜けて前頭部から後頭部にぐるりと巡る長距離が陽維脈となる。
最後に帯脈だが、これは腹をぐるりと横断して行く。
帶脈季恢下一寸八分 五樞帶脈下三寸 維道章門下五寸三分
帯脈、五枢、維道の左右で6穴が帯脈だ。
 
 
會於維道足少陽, 所謂奇經之八脈, 維繫諸經乃順常。
足少陽の維道にて会い、所謂奇経八脈は、諸経を繋ぐことを常とする。
帯脈は足の少陽と維道穴にて連絡していると書いてある。
そして最後に奇経の八脈は、諸々の経絡を繋ぐ事がその主な生理であるとして締めている。さらに詳細に生理や流注を知ろうとするのであれば黄帝内経、難経、奇経八脈考といった書物を参考にするべきだろう。しかし、ここでのテーマとずれるので、ここでは扱わない。

鍼灸聚英を読んでいて竇漢卿に関する部分を見つけたので補足としたい。
以前の部分で竇氏八穴に言及したが、それに関しての記述だ。まず以前言及した部分をリンクしておく。
http://d.hatena.ne.jp/kyougetu/20081220
ここ最近展開している内容が標幽賦であるゆえに、何度も竇漢卿という人となりと標幽賦の出典について触れざるを得ないのだが、ある程度勘弁していただきたい。なにしろ700年近い年月を経てきた歌賦であることから様々な所で触れられている。出来るだけ、そういった一連をフォローして行きたいのだが、それのみに集中する訳にも行かず、このような補足という形式で追記して行こうと考えた。
竇漢卿の大きめの肖像画も再度掲載したい。同時に掲載し忘れていた孫思邈、楊継州の肖像画も掲載する。双方とも鍼灸の古典を研究している中国のサイトにあったものだが、とりあえず想像図という事で納得していただきたい。当時の物とはちょっと考えにくい。だが、イメージを補うものとして楽しめると思うので敢えて置いておこうとおもう。ついでだらけで失礼かもしれないが、中国で出土した青銅器の古代九針の写真もあるので、ついでに。




 
さて、竇氏八穴だが以下に抜粋する。
 
窦氏八穴
(或云.少室隐者之所传.刘氏曰.八穴用为辅治.非拘于法取者也.)
公孙(足太阴脾.通冲脉.合于心胸.主治二十七证.)
九种心痛 心胃 痰鬲涎闷 心胸 脐腹痛胀 三焦胃 胁肋疼痛 心脾 产后血迷 心主 小肠心 水隔酒痰 肝胃 中满不快反胃呕吐 胃 腹胁胀满痛 脾胃 肠风下血 大肠包络 脱肛不收(大人小儿) 大肠肺 气隔 心肺 食隔不下 胃脾食积疼痛 胃脾 癖气小儿食癖 小肠心主 儿枕痛(妇人血块) 小肠三焦 酒癖 胃三焦 腹鸣 小肠胃 血刺痛 肝脾 小儿脾泻 脾肾 泻腹痛 大肠胃胸中刺痛 心 疟疾心痛 心包络
上病公孙悉主之.先取公孙.后取内关.
内关(手厥阴心包络.通阴维.主治二十五证.)
中满不快 心胃 伤寒 心主 心胸痞满 肝胃 吐逆不定 脾胃 胸满痰隔 肺心腹痛 肺九种心痛 心主胃 胁肋痛 肝胆 妇人血刺痛 心肝 肠鸣 大肠 积块痛 肝 男子酒癖 脾肺 二膈并心下痞痛 心脾胃 气膈食不下 胃心肺 腹肋胀痛 脾胃心主 肠风下血 大肠 伤寒结胸 胃 里急后重 小肠 食膈不下食 心主胃 疟寒热(新添有验)
上病证.内关悉主之.
临泣(此足临泣也.足少阳胆经.通带脉.合于目.上走耳后颊颈缺盆胸鬲.主治二十五证.)
足趺肿痛 胃 手足麻 小肠三焦 手指颤掉 肝心主 赤眼冷泪 膀胱 咽喉肿痛 三焦 腿胯痛 胆 脚膝肿痛 胃肝 四肢不遂 胆 头风肿 膀胱 头顶肿膀胱 浮风瘙痒 肺身体肿 肾胃 身体麻 肝脾 头目眩 膀胱 筋挛骨痛 肝胃 颊腮痛 大肠 雷头风胆 眼目肿痛 肝心 中风手足不举 肾 耳聋 肾胆
上列病证.临泣悉主之.先取临泣.后取外关.
外关(手少阳三焦经.通阳维.主治二十七证.)
肢节肿痛 肾 肾膊冷痛 三焦 鼻衄 肺 手足发热 三焦 手指节痛不能屈伸 三焦遂胆胃 筋骨疼痛 肝肾 迎风泪出 肝 赤目疼痛 肝心 腰背肿痛 肾手足麻痛并无力 胃 眼肿 心 头风掉眩痛 膀胱 伤寒表热 膀胱 破伤风 肝胃 手臂痛 大肠三焦 头项痛 小肠 盗汗 心主 目翳或隐涩 肝产后身肿 胃肾 腰胯痛 肾 雷头风胆
上病证.外关悉主之.
后谿(手太阳小肠经.通督脉.合于内 .走头项耳户膊小肠膀胱.主治二十四证.)
手足挛急 肝 手足颤掉 肝三焦 头风痛 三焦膀胱 伤寒不解 膀胱 盗汗不止 肺心喉闭塞 肾肺胃 颊腮肿痛 胃小肠 伤寒项强或痛 膀胱 膝胫肿痛肾 手足麻 胃眼赤肿 肝心 伤寒头痛 膀胱 表汗不出 肺胃 迎风泪下 肝胆 破伤风搐 肝 产后汗出恶风 肺 喉痹 肺肝 脚膝腿疼 胃 手麻痹大肠
上病后谿穴主之.先取后谿.后取申脉.
申脉(足太阳膀胱经.通阳跷.主治二十五证.)
腰背强痛 膀胱 肢节烦痛 肾肝 手足不遂 胃肺 伤寒头痛 膀胱 身体肿满 胃面自汗 胃 癫痫 肝 目赤肿痛 膀胱 伤风自汗 胃 头风痒痛 胆眉棱痛 膀胱雷头风 胆 手臂痛 大肠 臂冷 三焦 产后自汗 肾 鼻衄 肺 破伤风 肝 肢节肿痛肾肝 腿膝肿痛 胃 耳聋 肾 手足麻 胆 吹奶胃 洗头风 膀胱 手足挛 肝肾产后恶风 肾
上病.申脉穴主之.先取申脉.后取后谿.
列缺(手太阴肺经.通任脉.合肺及肺系喉咙胸鬲.主治三十一证.)
寒痛泄泻 脾 妇人血积痛或败血 肝 咽喉肿痛 胃 死胎不出及胎衣不下 肝 牙齿肿食噎不下 胃 脐腹撮痛 脾 心腹痛 脾 肠鸣下痢 大肠痔痒痛漏血 大肠 心痛温痢 脾 产后腰痛 肾肝 产后发狂 心 产后不语 心包络 米谷不化 脾 男子酒癖胃肝 乳痈肿痛 胃 妇人血块 肝肾温病不瘥 胆 吐逆不止 脾胃 小便下血 小肠小便不通 膀胱 大便闭塞 大肠 大便下血 大肠 胃肠痛病 心胃 诸积 心胃
上病.列缺悉主之.先取列缺.后取照海.
照海(足少阴肾经.通阴跷.主治二十七证.)
喉咙闭塞 胃 小便冷痛 肾肝 小便淋涩不通 膀胱 妇人血晕 肝肾 膀胱气痛膀胱 胎衣不下 肝 脐腹痛 脾 小腹胀满 小肠 肠 下血 大肠饮食不纳反胃吐食 胃男子癖并酒积 肺肝 肠鸣下痢腹痛 大肠 中满不快 胃 食不化 胃 妇人血积 肾心儿枕痛 胃肝 难产 肾肝 泄泻 脾 呕吐胃 酒积 脾 气 胃 气块 脾肝肾酒痹 胃肝 气膈 心主 大便不通 大肠 食劳黄 脾胃 足热厥 心主
上病.照海悉主之.先取照海.后取列缺.
上法.先刺主证之穴.随病左右上下所在取之.仍循扪道引.按法祛除.如病未已.必求合穴.未已则求之.须要停针待气.使上下相接.快然无其所苦.而后出针.

按此八穴.治法溥博.亦许学士所谓广络原野.冀获一免者也.

こちらは鍼灸聚英の第二巻に納められている。内容だが、標幽賦の方の後の方のセンテンスで触れて行く奇経八脈関連の所で抜粋している竇漢卿の書である針経指南という書物の定八穴所在という一文の改訂であろう。こちらは該当するセンテンスの解析の部分を乗せた時に詳細に言及したいと思っている。書かれている事はほぼ同様なので、先に見ておくと解りやすいかもしれない。
標幽賦の分解と検証なのだが、こうやってアップしているのは随分前に書いていて、何度も再検証して現時点で納得出来た部分を載せて行っているため、実際に書いている部分はもう少し先になる。この辺りはこちらの事情でしかないのだが、一応書いておこうと思ったので。それはさておき、標幽賦は以後、奇経八脈を主体に治療法が展開して行くのだが、ここで扱われる奇経八脈は内容的に重要極まりないので、補足と言う形でいくつか書いておく必要を感じたのが今回の補足の主題となる。
奇経八脈に関しての初出は黄帝内経ということになるが、こちらには八脈の名称と、その生理に関して書かれているが具体的に解説される事は無かった。黄帝内経に書かれる物の多くが人体生理なのは知られている。また、素問に書かれる内容は刺絡が主体で鍼治療に関しては霊枢が詳しい。故に鍼経という名称もある。どちらかというと霊枢が鍼経の別名とされるようだが。これらに関しては専門サイトが沢山有るのでそちらを参考にされたい。
そして奇経を集中的に解説したのが難経とされる。こちらも同様。ここでは詳細は書かない。理由は右に有るプロフィールを参考。
さて、鍼灸の古典全てが完全に現存している訳ではない。中国では王朝が変わる度に前の文化の否定が行われ、多くの書物が焼き捨てられたようだ。一部の書物は海外に輸出されたことで難を逃れ現存に至る。海外に渡って散逸を逃れた一例を挙げるとすると、以前にも出した千金翼方は日本に残っていた為に今に伝えられる。また、有名な物だと黄帝内経太素がある。こちらの写本は仁和寺に残され国宝に指定されている。太素の詳細は専門サイトでどうぞ。またこの写本を元にした本も有るので興味の有る方はどうぞ。

黄帝内経太素―仁和寺本写

黄帝内経太素―仁和寺本写

そういう訳で、古典は散逸しているもの、写本として海外に渡って現存しているが完全とは言えないものも多く、そういった物の中に埋もれてしまったのが奇経八脈の流注だったとされる。コレが明確に記されていたであろう書物が「明堂孔穴」とされるが、これも散逸している。しかし、重要な部分が甲乙経に抜粋されて残されており、これを中心に、他の医学書において奇経に関して書かれた部分を参考に奇経の流注と主治を再現した書物が奇経八脈考という物だ。これは和訳が有るのでそちらを参考にしていただきたい。
現代語訳 奇経八脈考

現代語訳 奇経八脈考

その奇経に関しては大成でも記述が有り、七巻(九巻とする物も有り)に督脈、任脈の走行と、奇経八脈歌、そして流注が書かれている。歌、流注の双方を抜粋したい。

奇經八脈歌 醫經小學
督脈起自下極腧, 並於脊裏上風府, 過腦額鼻入齗交, 為陽脈海都綱要,
任脈起於中極底, 上腹循咽承漿裏, 陰脈之海贝所謂。 衝脈出胞循脊中,
從腹會咽絡口唇, 女人成經為血室, 脈並少陰之腎經, 與任督本於陰會,
三脈並起而異行。 陽蹻起自足跟裏, 循外踝上入風池。 陰蹻內踝循喉嗌,
本足陰陽脈別支, 諸陰交起陰維脈, 發足少陰築賓鹸。 諸陽會起陽維脈,
太陽之鹸金門穴, 帶脈周迴季恢間, 會於維道足少陽, 所謂奇經之八脈,
維繫諸經乃順常。

奇經八脈 簡要
督脈起於少腹以下, 骨中央, 女子入繫廷孔, 其孔溺孔之端也。 其絡循陰器, 合篡間,
繞篡後, 別繞臀, 至少陽與巨陽中, 絡者, 合少陰上股內後廉, 貫脊屬腎。
與太陽起於目內眥, 上額交巔上, 入絡腦, 還出別下項, 循肩膊內, 俠脊抵腰中,
入循膂絡腎, 其男子循莖下至篡, 與女子等, 其少腹直上者, 貫臍中央。
上貫心入喉, 上頤環唇, 上繫兩目之下中央。 督脈起於下極之腧,
並於脊裏上至風府, 入腦上巔, 循額至鼻柱, 屬陽脈之海, 其為病也。 脊強而厥,
凡二十七穴。 穴見前
任脈與衝脈皆起於胞中, 循脊裏, 為經絡之海, 其浮而外者, 循腹上行, 會於咽喉,
別而絡唇口, 血氣盛則肌肉熱, 血獨盛則滲灌皮膚, 生毫毛, 婦人有餘於氣。
不足於血, 以其月事數下, 任衝並傷故也。 任衝之交脈, 不營於唇口, 故髭鬚不生,
任脈起於中極之下, 以上毛際, 循腹裏上關元, 至咽喉, 屬陰脈之海, 其為病也。
苦內結, 男子為七疝, 女子瘕聚, 凡二十四穴。 穴見前
衝脈者, 與任脈皆起於胞中, 上循脊裏, 為經絡之海, 其浮於外者, 循腹上行,
會於咽喉, 別而絡唇口, 故曰衝脈者, 起於氣衝, 並足少陰之經, 俠臍上行,
至胸中而散, 其為病也。 令人逆氣而裏急。 難經則曰: 並足陽明之經, 以穴考之,
足陽明俠臍左右, 各二寸而上行, 足少陰俠臍左右各一寸而上行, 針經所載,
衝任與督脈, 同起於會陰, 其右腹也。 行乎幽門, 通谷, 陰都, 石關, 商曲, 盲俞,
中柱, 四滿, 氣穴, 大赫, 膻骨, 凡二十二穴, 皆足少陰之分也。
然則衝脈並足少陰之經明矣! 幽門巨闕旁 通谷上脘旁 陰都通谷下 石關陰都旁
商曲 石關下 肓俞商曲下 中注肓俞下 四滿中柱下 氣穴四滿下 大赫氣穴下
膻骨大赫下
帶脈者, 起於季恢, 迴身一周, 其為病也。 腹滿, 腰溶溶如坐水中, 其脈氣所發,
正名帶脈, 以其迴身一周如帶也。 又與足少陽會於帶脈, 五樞, 維道, 此帶脈所發,
凡六穴。 帶脈季恢下一寸八分 五樞帶脈下三寸 維道章門下五寸三分
陽蹻脈者, 起於跟中, 循行踝, 上行入風池, 其為病也。 令人陰緩而陽急, 兩足蹻脈,
本太陽之別, 合於太陽, 其氣上行, 氣并相還, 則為濡目氣不營則目不合,
男子數其陽, 女子數其陰, 當數者為經, 不當數者為絡也。 蹻脈長八尺所發之穴,
生於申脈, 本於僕參, 鹸於附陽, 與足少陽會於居壷, 又與手陽明會於肩襖及巨骨,
又與手太陽陽維會於臑俞, 又與手足陽明會於地倉及巨壷, 又與任脈足陽
明會於承泣。 凡二十穴: 壷音僚襖音魚 申脈外踝下 僕參跟骨上 附陽外跟上
居壷章門下 肩襖肩端 巨骨肩端 臑俞肩襖後甲骨上廉 地倉口吻旁 巨壷鼻兩旁
承江目下七分
陰蹻脈者, 亦起於跟中, 循內踝上行, 至咽喉, 交貫衝脈, 其為病也。
令人陽緩而陰急, 故曰蹻脈者, 少陰之別, 起於然谷之後, 上內踝之上, 直上陰,
循陰股入陰, 上循胸裏, 入缺盆, 上出人迎之前, 入鼻屬目內眥, 合於太陽,
女子以之為經, 男子以之為絡, 兩足蹻脈長八尺, 而陰蹻之鹸在交信, 陰蹻病者取此,
凡四穴。 照海內踝下 交信內踝上
陽維脈者, 維於陽, 其脈起於諸陽之會, 與陰維皆維絡於身, 若陽不能維於陽,
則溶溶不能自收持, 其脈氣所發, 別於金門, 鹸於陽交, 與手太陽及陽蹻脈會於臑俞。
又與手少陽會於臑俞, 又與手足少陽會於天壷, 又與手足少陽足陽明會於肩井,
其在頭也。 與足少陽會於陽白, 上於本神, 及臨泣, 目窗, 上至正營, 承靈,
循於腦空, 下至風池, 日月, 其與督脈會, 則在風府及巌門, 其為病也。 苦寒熱,
凡三十二穴。 金門足外踝下 陽交外踝上 臑俞肩後甲上 臑會肩前廉
天壷缺盆上 肩井肩頭上 陽白眉上 本神曲差傍 臨泣目上 目窗後臨泣後
正營目窗後 承營正營後 腦空 承靈後 風池腦空下 日月期門下 風府 巌門
陰維脈者, 維於陰, 其脈起於諸陰之交, 若陰不能維於陰, 則悵然失志, 脈氣所發,
陰維之鹸, 名曰築賓。 與足太陰會於腹哀, 大膻, 又與足太陰厥陰會於府舍, 期門,
與任脈會於天突廉泉, 其為病也。 苦心痛, 凡一十二穴。
築賓內踝上 腹哀日月下 大膻腹哀下 府舍腹結下 期門乳下 天突結喉下
廉泉結喉下

個人的に余り必要とは思えないのだが、一応解析してみたい。内容的には前記の奇経八脈考の和訳の方が遥かに詳しいので、正直言うと、そちらを参考にしてもらいたいのだが、自分でも標幽賦に触れていて、そちらで言及されている以上書くべきかと言う判断を下した。くどいようだが参照していただきたいのは和訳の本の方だ。

奇經八脈歌 醫經小學
奇経八脈歌 「医経小学」
督脈起自下極腧, 並於脊裏上風府, 過腦額鼻入齗交, 為陽脈海都綱要,
督脈は自ら下極兪から起こり、並びて背裏を風府にのぼり、脳、額を過ぎて齗交より鼻に入り、葉脈の海を成し都の要綱となる
任脈起於中極底, 上腹循咽承漿裏, 陰脈之海贝所謂。
任脈は中極の底より起こり、腹を上り喉を循り承漿の裏へ、陰脈の海となり妊娠する所と謂う。
衝脈出胞循脊中, 從腹會咽絡口唇,
衝脈は胞より出て脊柱を循り、腹に従って咽を連絡して口唇に会い、
女人成經為血室, 脈並少陰之腎經, 與任督本於陰會, 三脈並起而異行。
女人は経を為す血室を成し、少陰腎経の脈に並び、任督を与る会陰を本とし、三脈は並びて起こるも異なるを行く。
陽蹻起自足跟裏, 循外踝上入風池。
陽蹻は足跟の裏に起こり、外踝を循り上り風池に入る。
陰蹻內踝循喉嗌, 本足陰陽脈別支, 諸陰交起陰維脈, 發足少陰築賓鹸。
陰蹻は内踝を循り喉へ、足陰陽脈の本の別支で、陰維脈は諸陰が交わり、足少陰より発して築賓は郄穴
諸陽會起陽維脈, 太陽之鹸金門穴, 帶脈周迴季恢間,
諸陽の会は陽維脈より起こり、太陽の金門穴が郄穴、帯脈は季肋間を周回し
會於維道足少陽, 所謂奇經之八脈, 維繫諸經乃順常。
足少陽の維道にて会い、所謂奇経八脈は、諸経を繋ぐことを常とする。

ということで、かなりザックリではあるが読み下してみた。医経小学という書物に関しては日本の貝原益軒の書物などに散見されるように、日本にも伝来し多くの人に読まれているようだ。劉純という人が1388年に記した本で全六巻となる。日本には天保十年1893年の抄本が現存していると言う。詳細はこちらで。
http://51qe.cn/pic/20/17/11/13/17/016.htm
内容だが読んだ通り、流注と鍵となる経穴だ。途中の陰脈の海という下りは難儀したが、貝というのが姓という文字の言い換えらしい。発音はともにbei4で同じという事で妊娠を意味するものと解釈するらしい。また、書によっては妊と書かれている。手元の本ではどちらも有ったので面倒な方を書いておいた。というかコピーしただけなので楽な方を選んだと言うべきかもしれないが。
任脈の任もまた妊の文字を意味することから任脈の意味合いも推測出来よう。
他、大抵の部分が教科書の内容から逸脱する事が無いので、内容を察する事自体は簡単なのだが、これを読み下そうとすると一気に頭が痛い状態になるのはいつも通り。
これを基礎として奇經八脈 簡要を読んで行くと、こちらは更に詳細に経穴や主治が書かれていると解るだろう。こちらの読み込みは又いずれ。
 
雑では有るが、以上で一応の補足としておきたい。また必要が有る場合は補足を入れて行く。

拘攣閉塞、遣八邪而去矣、寒熱痺痛、開四関而已之。
拘攣は閉塞、八邪を遣れば而して去り、寒熱痺痛は、四関を開けば而して之を已す。
拘孿者,筋脈之拘束,閉塞者,氣血之不通,八邪者,所以候八風之虛邪,言疾有孿閉,必驅散八風之邪也。 寒者,身作顫而發寒也。 熱者,身作潮而發熱也。 四關者六臟。 六臟有十二原出於四關,太衝合谷是也。 故太乙移宮之日,主八風之邪。 令人寒熱疼痛,若能開四關者,兩手兩足,刺之而已,立春一日起艮,名曰天雷宮。風從東北來為順,春分一日起震,名曰倉門宮。風從正東來為順令,立夏一日起巽,名曰陰洛宮,風從東南來為順令,夏至一日起離,名曰上天宮。風從正南來為順令,立秋一日起坤,名曰玄委宮。風從西南來為順令,秋分一日起兌,名曰倉果宮。風從正西來為順令,立冬一日起乾,名曰新洛宮。風從西北來為順令, 冬至一日起坎,名曰狮蟄宮。風從正北來為順令,其風著人爽神氣,去沉弉, 背逆謂之惡風毒氣,吹形骸即病,名曰時氣。 留伏流入肌骨臟腑,雖不即患, 後因風寒暑濕之重感,內緣飢飽勞慾之染著, 發患曰內外兩感之痼疾, 非刺針以調經絡,湯液引其榮衛,不能已也。 中宮名曰招搖宮。 共九宮焉。 此八風之邪,得其正令,則人無疾,逆之則有病也。
まず、いくつか漢字についてみておく必要が有るので、そちらを先に見ておく。寒熱痺痛なのだが、これは、ある流派の教育を受けた者なら「痺」なのか「痹」なのかという問題をハッキリさせたくなると思う。実際私もその流派の教育を受けた者なので真っ先に気になった。流派に関してはあえて書かない。ここは別に流派を語る場所ではないからだ。さて、複数の本を見てみたのだが特に書き分けがされていると言う訳でもなさそうだが、やはり大陸系の書籍では「痹」と書かれたものが多い。台湾などの書籍だと「痺」としてるものも見られる。もしかすると単純に活字の問題なのかもしれないが、一応ここもネットという環境なのでフォントの都合を考えて「痺」の方で書いておいた。個人的には、楊継州の注釈と照らし合わせても痹症の「痹」を推奨したいが、世の中には都合っていうものがある。フォントが潰れずに読める人だけ痹で読んでいただきたい。
内容としては非常に重要な部分でもある。ここから実際の経穴を引き合いに出しての治療法が始まるからだ。拘攣(こうれん)は痙攣と同じような状態で、体が引きつり動かなくなる状態を指す。漢方薬では芍薬などで対応する病状を連想すると解りやすいのかもしれないが、ここを読む人では麻木から肝を連想する人の方が多かろう。それは的確で、楊継州の注釈でも風邪の解説が続く。八邪=八風の邪とし、まず風の解説が入る。ここの部分は面白いので全部見て行こうと思う。
季節:その季節の始まる日:その日の名称:本来吹いてくる風の方向
立春:艮:天雷(天留という表記も有り)宮:東北より吹く
春分:震:倉門宮:東より吹く
立夏:巽:陰洛宮:東南より吹く
夏至:離:上天宮:南より吹く
立秋:坤:玄委宮:西南より吹く
秋分:兌:倉果宮:西より吹く
立冬:乾:新洛宮:西北より吹く
冬至:坎:叶蟄宮:北より吹く
以上が八風を簡単に纏めた物となる。纏める以前の物は上に書いてある漢文そのものなので別に大した事をした訳ではないのだが、こうやって纏めると季節と方角が解りやすいのではないか?と思っただけだ。○○宮という部分は九宮からの引用だ。上記の八つに中央をくわえて九宮とするらしいが、これは易の考え方のようなので自分は詳しくは知らない。だが黄帝内経霊枢の七十七に九宮八風の篇が有り、そちらには九宮と八風が纏まっている。黄帝内経に関しての私の立場は何度も書いている通り、1.詳しい人が沢山居る 2.解釈法が恐ろしく多数あるため言及が困難 3.しかもその解釈法によって流派のようなものが出来ていて流派間で反目しあっている場合が多い 4.原文を読んで欲しい といういつもの考えから原文を掲載するに留めたい。
太一常以冬至之日,居狮蟄之宮四十六日,明日居天留四十六日,明日居倉門四十六日,明日居陰洛四十五日,明日居天宮四十六日,明日居玄委四十六日,明日居倉果四十六日,明日居新洛四十五日,明日復居狮蟄之宮,曰冬至矣。太一日遊,以冬至之日,居狮蟄之宮,數所在日從一處,至九日,復反於一,常如是無已,終而復始。

太一移日,天必應之以風雨,以其日風雨則吉,歲美民安少病矣。先之則多雨,後之則多旱。太一在冬至之日有變,占在君。太一在春分之日有變,占在相。太一在中宮之日有變,占在吏。太一在秋分之日有變,占在將。太一在夏至之日有變,占在百姓。所謂有變者,太一居五宮之日,病風折樹木,揚沙石,各以其所主,占貴賤。因視風所從來而占之,風從其所居之鄉來為實風,主生,長養萬物。從其衝後來為虛風,傷人者也,主殺,主害者,謹候虛風而避之,故聖人日避虛邪之道,如避矢石然,邪弗能害,此之謂也。

是故太一入徙立於中宮,乃朝八風,以占吉凶也。風從南方來,名曰大弱風,其傷人也,內舍於心,外在於脈,氣主熱。風從西南方來,名曰謀風,其傷人也,內舍於脾,外在於肌,其氣主為弱。風從西方來,名曰剛風,其傷人也,內舍於肺,外在於皮膚,其氣主為燥。風從西北方來,名曰折風,其傷人也,內舍於小腸,外在於手太陽脈,脈絕則溢,脈閉則結不通,善暴死。風從北方來,名曰大剛風,其傷人也,內舍於腎,外在於骨與肩背之膂筋,其氣主為寒也。風從東北方來,名曰凶風,其傷人也,內舍於大腸,外在於兩恢腋骨下及肢節。風從東方來,名曰嬰兒風,其傷人也,內舍於肝,外在於筋紐,其氣主為身濕。風從東南方來,名曰弱風,其傷人也,內舍於胃,外在肌肉,其氣主體重。此八風皆從其虛之鄉來,乃能病人,三虛相搏,則為暴病卒死,兩實一虛,病則為淋露寒熱。犯其雨濕之地,則為痿。故聖人避風,如避矢石焉。其有三虛而偏中於邪風,則為擊仆偏枯矣。

では霊枢に附属する図と易に附属する図も参考として掲載しておこうと思う。

他にも鍼灸大全に太乙人神歌というものがあり、そちらでも同じような事が書かれているので興味の有る人は大全を参照していただきたい。そして、鍼灸大全をどこで入手したのか私に教えて欲しい。以下がそれである。
立春,艮上,起天留、戊寅巳丑,左足求。春分,左脇,倉門震、乙卯日,見定為仇。立夏,戊辰,已巳巽、陰絡,宮中,左手愁。夏至,上天,丙辰日、正直,応喉,離首頭。立秋,玄委宮,右手、戊申己未,坤上遊。秋分,倉果,西方兌、辛酉,還従右脇謀。立冬,右足,加新洛、戊戌巳亥,乾位収。冬至,坎方,臨叶蟄、壬子,腰尻下竅流。五臓六腑,并臍腹、招遥諸戊巳,中州、潰治癰疽,当須避、犯其天忌,疾難瘳 。
瘳 は「ちょう」と読み病気が治るという意味や損なうという意味を持つので、まあ後は大体読解出来ると思う。
更に鍼灸聚英には冬至叶蟄宮説というものがある。
冬至叶蛰宫说:冬至叶蛰宫图周身之法.取九宫方位.离为上部.中五为中部.坎为下部.巽坤为二肩臂.皆仿此.按冬至叶蛰宫图.载于内经者.止言八方之气.有应其时而生物.违其时而生病.又刺痈曰.身有痈肿者.欲治之.无以其所直之日溃之.今曰诸针灸皆忌之.是与经旨不合.
九宮を人の体に見立てて方位を体のパーツに対応させている。図を見ろ的な物が書かれているが、この辺りは省略させていただく。ここまで行くと脱線し過ぎだと判断するからだ。

話は大分前後するが、標幽賦に戻ろう。四関だが、これは四つの関節とか連想しがちだが楊継州は合谷と太衝だとしている。これは関が「かんぬき」の意味を持ち、それが転じて関所を意味したことから「ものともののつなぎ目」となり関節を意味したわけだが、合谷も太衝も指の骨の狭間にある経穴であることから、こう呼んだのだろうと自分は推測した。四關者六臟。 六臟有十二原出於四關,太衝合谷是也。という一文からは四関は五蔵六府であり、五蔵六府は十二原穴に出てそれを四関とし、それはこの場合は太衝と合谷だというような解釈となろう。この解釈の根拠は霊枢に求めてみた。九針十二原第一篇で、霊枢の一番最初に書かれているので馴染み深いと思う。以下に抜粋する。
 
黃帝問於歧伯曰︰余子萬民,養百姓,而收租稅。余哀其不給,而屬有疾病。余欲勿使被毒藥,無用砭石,欲以微鍼通其經脈,調其血氣,榮其逆順出入之會。令可傳於後世,必明為之法令終而不滅,久而不絕,易用難忘,為之經紀。異其章, 別其表裏,為之終始。令各有形,先立鍼經,願聞其情。
歧伯答曰︰臣請推而次之,令有綱紀,始於一,終於九焉。請言其道。小鍼之要,易陳而難入,麤守形,上守神,神乎神,客在門,未呟其疾,惡知其原。 刺之微在速遲,麤守關,上守機,機之動,不離其空,空中之機,清靜而微,其來不可逢,其往不可追。知機之道者,不可掛以髮,不知機道,叩之不發,知其往來,要與之期,麤之闇乎,妙哉,工獨有之。往者為逆,來者為順,明知逆順,正行無間。逆而奪之,惡得無虛,追而濟之,惡得無實,迎之隨之,以意和之, 鍼道畢矣。
凡用鍼者,虛則實之,滿則泄之,宛陳則除之,邪勝則虛之,大要曰︰徐而疾則實,疾而徐則虛。言實與虛,若有若無,察後與先,若存若亡,為虛與實,若得若失。虛實之要,九鍼最妙,補寫之時,以鍼為之。寫曰必持內之,放而出之,排陽得鍼,邪氣得泄。按而引鍼,是謂內溫,血不得散,氣不得出也。補曰隨之,隨之, 意若妄之,若行若按,如蚊虞止,如留如還,去如弦絕,令左屬右,其氣故止,外門已閉,中氣乃實,必無留血,急取誅之。持鍼之道,堅者為寶,正指直刺,無鍼左右,神在秋毫,屬意病者,審視血脈者,刺之無殆。方刺之時,必在懸陽, 及與兩衛,神屬勿去,知病存亡。血脈者在腧膻居,視之獨澄,切之獨堅。
九鍼之名,各不同形。一曰鑱鍼,長一寸六分。二曰員鍼,長一寸六分。三曰鍉鍼,長三寸半。四曰鋒鍼,長一寸六分。五曰?鍼,長四寸,廣二分半。六曰員利鍼,長一寸六分。七曰毫鍼,長三寸六分。八曰長鍼,長七寸。九曰大鍼,長四寸。 鑱鍼者,頭大末銳,去寫陽氣。員鍼者,鍼如卵形,揩摩分間,不得傷肌肉,以寫分氣。鍉鍼者,鋒如黍粟之銳,主按脈勿陷,以致其氣。鋒鍼者, 刃三隅以發痼疾。?鍼者,末如劍鋒,以取大膿。員利鍼者,大如氂,且員且銳,中身微大,以取暴氣。毫鍼者,尖如嘘虞喙,靜以徐往,微以久留之,而養以取痛痹。長鍼者,鋒利身薄,可以取遠痹。大鍼者,尖如挺,其鋒微員,以寫機關之水也。 九鍼畢矣。
夫氣之在脈也,邪氣在上,濁氣在中,清氣在下。故鍼陷脈則邪氣出,鍼中脈則濁氣出,鍼大深則邪氣反沉病益。故曰︰皮肉筋脈,各有所處,病各有所宜, 各不同形,各以任其所宜,無實無虛,損不足而益有餘,是謂甚病,病益甚取五脈者死,取三脈者恇,奪陰者死,奪陽者狂,鍼害畢矣。刺之而氣不至,無問其數。刺之而氣至,乃去之,勿復鍼。鍼各有所宜,各不同形,各任其所, 為刺之要。氣至而有效,效之信,若風之吹雲,明乎若見蒼天,刺之道畢矣。
黃帝曰︰願聞五藏六府所出之處。
歧伯曰︰五藏五腧,五五二十五腧,六府六腧, 六六三十六腧,經脈十二,絡脈十五,凡二十七氣。以上下所出為井,所溜為滎,所注為腧,所行為經,所入為合,二十七氣所行,皆在五腧也。節之交, 三百六十五會,知其要者,一言而終,不知其要,流散無窮,所言節者,神氣之所遊行出入也,非皮肉筋骨也。觀其色,察其目,知其散復。一其形,聽其動靜,知其邪正。右主推之,左持而禦之,氣至而去之。凡將用鍼,必先診脈,視氣之劇易,乃可以治也。五藏之氣,已絕於內,而用鍼者,反實其外,是謂重竭,重竭必死,其死也靜,治之者,輒反其氣,取腋與膺。五藏之氣,已絕於外,而用鍼者,反實其內,是謂逆厥,逆厥則必死,其死也躁,治之者,反取四末刺之, 害中而不去則精泄,害中而去則致氣,精泄則病益甚而恇,致氣則生為癰瘍。
五藏有六府,六府有十二原,十二原出於四關,四關主治五藏,五藏有疾, 當取之十二原。十二原者,五藏之所以稟三百六十五節氣味也。五藏有疾也,應出十二原,十二原各有所出,明知其原,呟其應,而知五藏之害矣。陽中之少陰,肺也,其原出於太淵,太淵二。陽中之太陽,心也,其原出於大陵,大陵二, 陰中之少陽肝也,其原出於太衝,太衝二,陰中之至陰,脾也,其原出於太白,太白二。陰中之太陰,腎也,其原出於太谿,太谿二。膏之原,出於鳩尾,鳩尾一。肓之原。出於脖胦,脖胦一。凡此十二原者,主治五藏六府之有疾者也,脹取三陽, 飧泄取三陰。
今夫五藏之有疾也,譬猶刺也,猶污也,猶結也,猶閉也。刺雖久,猶可拔也。污雖久,猶可雪也。結雖久,猶可解也。筝雖久,猶可決也,或言久疾之不可取者,非其說也,夫善用鍼者,取其疾也,猶拔刺也,猶雪污也,猶解結也,猶決筝也,疾雖久,猶可畢也。言不可治者,未得其術也。刺諸熱者,如以手探湯。刺寒清者,如人不欲行。陰有陽疾者,取之下陵三里,正往無殆,氣下乃止,不下復始也。 疾高而內者,取之陰之陵泉。疾高而外者,取之陽之陵泉也。
最後から2番目のセンテンスに当該部分が有る。五藏有六府,六府有十二原,十二原出於四關,四關主治五藏とあり、五蔵に六腑があり、(五臓)六腑には十二の原穴があり、十二原穴は四関に出る。四関は五臓を主治する。と読み下せるので、之に習って十二原を原穴と解釈した。実際に霊枢でも陽中之少陰,肺也,其原出於太淵,太淵二。と原穴の紹介が続く。また、原穴は臓器の気が経絡に出る場所という解釈もここで述べられている。
ただ、 六臟有十二原出於四關の「出」という部分から井穴を考えるのも当然かと思う。とはいえ、ここでの合谷、太衝という具体的な経穴名が出てきていること、そして双方が原穴であることから井穴という解釈は自分は取らない事にしたと付記しておく。
更に付記しておくと、八風という単語に対して季節の風を充てたのは楊継州ではなく鍼灸大全である。以下に鍼灸大全に於ける該当部分を抜粋する。
拘攣者、筋脈之拘束也。閉塞者、気血不通也。八邪者、所以候八風之虚邪也。言疾有攣閉者、必駆散,八風之邪也
これは大成における注釈の冒頭部と同じだ。大全では後半部分の寒熱痺痛に関する部分は別のセンテンスとして扱っているため、少々短くなっているが内容的には大成は大全に従っていると考えられる。もっとも、大全において歌賦に注釈が入れてあるのが標幽賦ぐらい(何より手元に無いのでネット上での情報でしか確認出来ず、複数の版の比較はおろか内容の吟味すらままならないので断言ができない)なので、大成が大全を多いに参考にしていると考えても良さそうだ。これは全体にも言える事だ。同時に、この解釈は、あくまで大全→大成という流れの中での解釈という事が言える為、他の解釈もいくらでも可能だという事でもあろう。他の歌賦の注釈本を見ると八風は普通に阿是穴の八風を意味するとしてる物も多い。この差を「誤り」「こちらが正しい」といった二元論で語るべきではない。解釈の違いを二元論程度の判断に貶めてはならないと自分は考えている。

循機捫而可塞以象土、
機捫を循環させ、而して象土をもって塞ぐ
循者,用手上下循之,使氣血往來也。 機捫者,針畢以手捫者,針畢以手捫閉其穴,如用土填塞之義,故言針應土也。
ここのフレーズは楊継州の注釈を見て行かないと何を言ってるのかも良くわからない。まず循だが循環という言葉通りめぐらすという意味を持つが、それを手を用いて患部を上下にさすって気血の往来をもたらす事と言う意味に取っている。機捫だが捫という文字から見ると解りやすいと思う。これはわざわざ自分が詳細を書く必要すら無いと思うのだが、素問の離合真邪論篇でも使われているので詳細は素問に詳しい人に譲るべきなのかもしれない。他にも挙痛論篇にも出て来るはずだ。もっとも、この標幽賦にも使われているし、今までの読解にも出て来ているので、ここで説明するのは遅過ぎるぐらいか。
 http://d.hatena.ne.jp/kyougetu/20090128
 留住也。 疾速也。 此言正氣既至,必審寒熱而施之。 故經云:刺熱須至寒者,必留針,陰氣隆至,乃呼之,去除其穴不閉,刺寒須至熱者,陽氣隆至,針氣必熱乃呼之去疾其穴急捫之,ということで、抜針後の処理部分に既に出て来ているので、問題は無かろう。
 捫は簡単に意味だけを取れば「揉む」「按ず」「圧する」という意味になるので、ここでは前の文章からも推測して、針をした後の処置としての後揉を意味すると考えるのが自然だと思う。次に機だが、これは物事が変化する様を意味するので、揉んだり圧したりして物事が変化する結果に循環するという意味に取れる結果となる。
 更に針孔を塞ぐという行為に触れ、これらの一連を農業用地の開墾に例えている。土を耕すように肌肉を揉み捏ね、土を盛るように針の穴を塞ぐというわけだ。ここで、豪針の手技が五行の土とリンクさせられたと解釈しているようだ。
余談では有るが、以下に素問の離合真邪論篇を掲載しておく。
 黃帝問曰︰余聞九鍼九篇,夫子乃因而九之,九九八十一篇,余盡通其意矣。經言氣之盛衰,左右傾移,以上調下,以左調右,有餘不足,補寫於榮俞,余知之矣。此皆榮衛之傾移,虛實之所生,非邪氣從外入於經也。余願聞邪氣之在經也,其病人何如,取之奈何。
 歧伯對曰︰夫聖人之起度數,必應於天地,故天有宿度,地有經水,人有經脈。天地溫和,則經水安靜;天寒地凍,則經水凝泣;天暑地熱,則經水沸溢;卒風暴起,則經水波涌而隴起。夫邪之入於脈也,寒則血凝泣,暑則氣淖澤,虛邪因而入客,亦如經水之得風也,經之動脈,其至也亦時隴起,其行於脈中循循然,其至寸口中手也,時大時小,大則邪至,小則平,其行無常處,在陰與陽,不可為度,從而察之,三部九候,卒然逢之,早遏其路,吸則內鍼,無令氣忤,靜以久留,無令邪布,吸則轉鍼,以得氣為故,候呼引鍼,呼盡乃去,大氣皆出,故命曰寫。
 帝曰︰不足者補之,奈何。
 歧伯曰︰必先捫而循之,切而散之,推而按之,彈而怒之,抓而下之,通而取之,外引其門,以閉其神,呼盡內鍼,靜以久留,以氣至為故,如待所貴,不知日暮,其氣以至,適而自護,候吸引鍼,氣不得出,各在其處,推闔其門,令神氣存,大氣留止,故命曰補。
 帝曰︰候氣奈何。
 歧伯曰︰夫邪去絡入於經也,舍於血脈之中,其寒溫未相得,如涌波之起也,時來時去,故不常在。故曰︰方其來也,必按而止之,止而取之,無逢其衝而寫之。真氣者,經氣也,經氣太虛,故曰︰其來不可逢,此之謂也。故曰︰候邪不審,大氣已過,寫之則真氣脫,脫則不復,邪氣復至,而病益蓄,故曰︰其往不可追,此之謂也。不可掛以髮者,待邪之至時而發鍼寫矣,若先若後者,血氣已盡,其病不可下,故曰︰知其可取如發機,不知其取如扣椎,故曰︰知機道者不可掛以髮,不知機者扣之不發,此之謂也。
 帝曰︰補寫奈何。
 歧伯曰︰此攻邪也,疾出以去盛血,而復其真氣,此邪新客,溶溶未有定處也,推之則前,引之則止,逆而刺之,溫血也。刺出其血,其病立已。
 帝曰︰善。然真邪以合,波隴不起,候之奈何。
 歧伯曰︰審捫循三部九候之盛虛而調之,察其左右上下相失及相減者,審其病藏以期之。不知三部者,陰陽不別,天地不分,地以候地,天以候天,人以候人,調之中府,以定三部,故曰︰刺不知三部九候病脈之處,雖有大過且至,工不能禁也。誅罰無過,命曰︰大惑,反亂大經,真不可復,用實為虛,以邪為真,用鍼無義,反為氣賊,奪人正氣,以從為逆,榮衛散亂,真氣已失,邪獨內著,絕人長命,予人夭殃,不知三部九候,故不能久長。因不知合之四時五行,因加相勝,釋邪攻正,絕人長命。邪之新客來也,未有定處,推之則前,引之則止,逢而瀉之,其病立已。
 
 更に挙痛論篇も掲載する。
黃帝問曰:余聞善言天者,必有驗於人;善言古者,必有合於今;善言人者,必有厭於己。如此,則道不惑而要數極,所謂明也。今余問於夫子,令言而可之知,視而可見,捫而可得,令驗於己,而發蒙解惑,可得而聞乎?歧伯再拜稽首對曰:何道之問也?帝曰:願聞人之五藏卒痛,何氣使然?歧伯對曰:經脈流行不止,環周不休。寒氣入經而稽遲,泣而不行,客於脈外則血少,客於脈中則氣不通,故卒然而痛。
帝曰:其痛或卒然而止者,或痛甚不休者,或痛甚不可按者,或按之而痛止者,或按之無益者,或喘動應手者,或心與背相引而痛者,或脅肋與少腹相引而痛者,或腹痛引陰股者,或痛宿昔而成積者,或卒然痛死不知人,有少間復生者,或痛而嘔者,或腹痛而後泄者,或痛而閉不通者。凡此諸痛,各不同形,別之奈何?
歧伯曰:寒氣客於脈外則脈寒,脈寒則縮踡,縮踡則脈絀急,則外引小絡,故卒然而痛,得_則痛立止;因重中於寒,則痛久矣。寒氣客於經脈之中,與_氣相搏則脈滿,滿則痛而不可按也。寒氣稽留,_氣從上,則脈充大而血氣亂,故痛甚不可按也。寒氣客於腸胃之間,膜原之下,血不得散,小絡急引,故痛,按之則血氣散,故按之痛止。寒氣客於俠脊之脈,則深按之不能及,故按之無益也。寒氣客於衝脈,衝脈起於關元,隨腹直上,寒氣客則脈不通,脈不通則氣因之,故喘動應手矣。寒氣客於背俞之脈,則脈泣,脈泣則血虛,血虛則痛,其俞注於心,故相引而痛。按之則熱氣至,熱氣至則痛止矣。寒氣客於厥陰之脈,厥陰之脈者,絡陰器,繫於肝,寒氣客於脈中,則血泣脈急,故脅肋與少腹相引痛矣。厥氣客於陰股,寒氣上及少腹,血泣在下相引,故腹痛引陰股。寒氣客於小腸膜原之間,絡血之中,血泣不得注入大經,血氣稽留不得行,故宿息而成積疾矣。寒氣客於五藏,厥逆上泄,陰氣竭,陽氣未入,故卒然痛死不知人,氣復返則生矣。寒氣客於腸胃,厥逆上出,故痛而嘔也。寒氣客於小腸,小腸不得成聚,故後泄腹痛矣。熱氣留於小腸,腸中痛,癉熱焦渴,則堅乾不得出,故痛而閉不通矣。
帝曰:所謂言而可知者也。視而可見奈何?歧伯曰:五藏六府,固盡有部,視其五色,黃赤為熱,白為寒,青鄢為痛,此所謂視而可見者也。
帝曰:捫而可得奈何?歧伯曰:視其主病之脈,堅而血及陷下者,皆可捫而得也。帝曰:善。余知百病生於氣也。怒則氣上,喜則氣緩,悲則氣消,恐則氣下,寒則氣收,_則氣泄,驚則氣亂,勞則氣耗,思則氣結。九氣不同,何病之生?
歧伯曰:怒則氣逆,甚則嘔血及飧泄,故氣上矣。喜則氣和志達,榮衛通利,故氣緩矣。悲則心系急,肺布葉舉而上焦不通,榮衛不散,熱氣在中,故氣消矣。恐則精卻,卻則上焦閉,閉則氣還,還則下焦脹,故氣不行矣。寒則腠理閉,氣不行,故氣收矣。_則腠理開,榮衛通,汗大泄,故氣泄。驚則心無所倚,神無所歸,慮無所定,故氣亂矣。勞則喘息汗出,外內皆越,故氣耗矣。思則心有所存,神有所歸,正氣留而不行,故氣結矣。


 これも日本語訳が沢山存在するので、単純に何が書かれているのかを知りたいと言う方はそちらを参考にされたし。素問、霊枢、難経の三書は東洋医学では基礎分野とされ、それ故に多くの方が懸命に取り組んでおられる。なので、それらの研究者の方の発表を読むのが臨床に生かす最短距離であろう。だが、自分は思うのだ。やはり原文を自分で読んでみた時の印象以上のものは無いのではないかと。それ故に、自分はまず原文を提示したいと考えているし、その考えに基づいてこの場所ではまず原文を提示し、その後に自分の考えを書くという形式を取っている。
 とはいえ、この場合では言及した部分云々というより、この素問の一文は東洋医学における治療の概念の根幹とも言えるような部分なので仔細に見ておいた方が良いのではないかと個人的には思うのだが。



実応五行而可知。
まさに五行を知る事となる
五行者,金水木火土也,此結上文,針能應五行之理也。
実も応も「まさに」という意味なので、ここでは感嘆符のような意味合いと理解した。内容的には以前の部分でネタばれのような事をしてしまっているので何とも申し訳ない状態になっているが、豪針が五行と対応しているのだという結論が宣言されたというだけだ。注釈も、それ以上の部分から逸脱はしない。



然是一寸六分、包含妙理、
然してこの一寸六分、妙なる理を包含する。
言針雖但長一寸六,能巧運神機之妙,中含水火回倒陰陽,其理最玄妙也。
この部分だが、書物によっては三寸六分と記載されている物(「然是三寸六分」とあるようだ。当たり前では有るが楊継州の注釈も「言針雖但長三寸六」と書かれていた)もあるらしい。有るらしいのだが、豪針を意味する言葉として寸法が提示されているという意味合いから、ここは特に何かを書き加える出なく一寸六分とした。内容としては寸六の豪針は素晴らしいよ、という事だ。注釈をみると、その素晴らしい理由と言うのが豪針が五行とリンクし、それを操作表現できるからという意味合いが書かれる。


雖細腊于毫髪、同貫多岐。
豪髪の細さの棹幹といえども、多岐に渡り同じく貫く
腊、針之幹也。岐、気血往来之路也。言,鍼之幹、雖如毫髪之微小、能貫通,諸経血気之道路也。
まず面倒なのは雖という漢字だが「いえども」という意味だと解ればあとは早かった。針体は髪の毛の細さだというが、体を走行する経絡の気血の道路を貫いて貫通させる能力が有るのだ、という意味であろう。この辺りは歌賦という性質上、韻を踏んだりして読みやすくする工夫が施された文章であり、前文と文字数が同じで、区切りも同じという部分を考慮するに、一つのフレーズとして成立していると考えるのも道理かもしれない。


可平五臓之寒熱、能調六腑之虚実。
五臓の寒熱を平によし、六腑の虚実をととのうに能う。
平、治也。調、理也。言,鍼能調治,臓腑之疾、有寒則温之、熱則清之、虚則補之、実則瀉之
平というのが治めるという意味であり、調というのが理であるとする楊継州の解説は思わず唸ってしまうほどの的確さであり奥が深い。内容としては豪針による鍼治療の可能性に関しての続きで、寒熱、虚実に対応出来るという宣言にも似た文章だ。前の部分でも多少触れたが、標幽賦以前の針による治療の根幹は瀉法であり、それ故に熱を与えたり、気を充実させるという部分は灸や漢方薬に大きく依存していた。それを竇漢卿は「針だけでも出来るよ」と標幽賦で宣言している。さらに、ここまで見ていて気がつく事は迎随と針の操作による補瀉が書かれているが、ここでの迎随はあくまで経絡に対しての迎随であり、呼吸による迎随ではないと言う事だ。どうも竇漢卿から発展した鍼灸の技法に於いては、経絡が重要視されていると見て良いだろう。これは経絡が臓腑に至るルートであるから経絡に対して迎随を行ったりすることが補瀉を可能にしているという発想ではないか?と推測も出来る。この辺りを考慮において標幽賦を見て行くと面白いのではないか?と個人的には考えている。

観夫九鍼之法、毫鍼最微、七星上応、叢穴主持。
九針の法を観るに豪針は最微、七星の上に応じ、叢る経穴を主持する
言九針之妙,毫針最精,上應七星,又為三百六十穴之計
古代九針と呼ばれる一連の中でも豪針が最も優れていて、それは北斗七星のように絶対であり、体にある数多の経穴を管轄するというような意味でとらえるのが無難なように思う。
突発的に出て来た七星だが、これは七竅と対応しているという解釈を見た事が有る。つまり、七星も七竅も上に有るものという事で上等な物という意味を持つのだそうだ。
余談では有るが七竅に関しても触れておこうと思う。別に自分が書く必要など無いほど七竅と言う言葉は知られた事なので自分が触れる意義を見いだせないのだが、大目に見ていただきたい。
人の顔にある七つの穴として七竅(しちきょう)が有るとされ、口、両目、両耳、鼻の穴の合計を七竅とするという。この七竅という言葉が有名なのは荘子の寓話の「七竅に死す」が知られているからだろう。以下に該当部分を抜粋しておく。
南海之帝為儵,北海之帝為忽,中央之帝為渾沌。儵與忽時相與遇於渾沌之地,渾沌待之甚善。儵與忽謀報渾沌之紱,曰:「人皆有七竅以視聽食息,此獨無有,嘗試鑿之。」日鑿一竅,七日而渾沌死。
この寓話を読む度に、自分は自分のしている事が南海の帝や北海の帝のような事じゃ無かろうかと疑問に感じることがある。人の体は、その現状こそが素晴らしいのであって鍼灸といった外部からの干渉は、じつは七竅を穿つような真似なのではないか?と思うのだ。請われるままに打つ針の怖さも大概の物が有るが、渾沌に七竅を開けるような針も恐ろしい。とはいえ、何もしないでいる事は苦痛に他ならない。ならばせめて、真剣に向き合うべきなのだろう。そんな着地点にしか自分はまだ到達出来ないのだ。未熟さが痛い。



本形金也、有蠲邪扶正之道、
本形は金なり、蠲邪扶正の道、
本形言針也。 針本出於金古人以砭石,今人以鐵代之,蠲除也。 邪氣盛,針能除之,扶輔也。 正氣衰,針能輔之。
前の一説を受け、豪針の本体は金属であると言っている。針の材質は古くは砭石と言われた石であり、これが加工のしやすい骨に移行し、やがて金属が主体となっていたのは現代だから分かる事で、この当時はまだ多くの砭石、骨針が流通していたのだろう。それゆえ豪針は金属だと言ったのではないかと個人的に推測する。ただ、標幽賦は歌賦、つまり歌の一種であり、語呂合わせ的に無理矢理一節を追加しただけ、という可能性も有るにはあるが。
蠲だが読みは「けん」だ。この辺りはもう自分が改めて言う必要も無いと思うが一応書いておく。意味は取り除くという事で、邪を取り除き正を補うということで豪針では補瀉が出来ると言っていると解釈が出来る。これはとても興味深いと思う。すこし脱線するが鍼灸大成の最終巻の一番最後の附弁という章を参照していただきたい。こちらには古今医統大全という本からの抜粋らしい。古今医統の詳細をリンクしておく。
http://jien.ll.chiba-u.ac.jp/db/CUL_collections/search/detail/00011900.html
これは手元に無いので調べきれないので後日、もし手に入ったら観て行きたいと思っているが、この一節に「或問用針渾是瀉而無補」とある。つまり、針には補法は無いだろという一言だ。さらに「古人用之, 所以導氣, 治之以有餘之病也」と続く。補ったのではなく導いて来て治療したのだというわけだ。さらに「經曰: 陽不足者溫之以氣, 精不足者補之以味, 針乃砭石所製, 既無氣, 又無味, 破皮損肉, 發竅於身, 氣皆從竅出矣」と続く。「黄帝内経では陽が不足したなら気をもって温め、精が不足したのなら「味」で補えとある、針は砭石で作られ、これには気は無い。気がなく味も無く、ただ皮を破り肉を損傷し、体に穴を開けて、気はその穴から全部出てしまう」と訳すべきか。つまり、砭石が主体であった頃の針には補法の観念は無く、補いたければ「味」である薬を飲めと言う訳だ。実に合理的では有るが、豪針の登場は針に補法の観念を与えたという方向で解釈も出来よう。



短長水也、有決凝開滞之機。
短長は水なり、凝りを決し滞りを開く機序だ
此言針有長短,猶水之長短,人之氣血凝滯不通,猶水之凝滯而不通也。 水之不通,決之使流於湖海,氣血通,針之使周於經脈,故言針應水也。
これも豪針の説明だ。その長さを水にたとえ、その運用を凝りや滞りを打開するとしている。水の長さというのは要するに川を意味するのだろう。では滞るのは何か?というと人の気血だと楊継州は解説する。通ざれば痛むという不通則痛の観念だ。ここで人の気血を水に例え針を川に例える事で豪針を水に関連づけているようだ。


定刺象木、或斜或正、
刺すを定めし像は木、或は斜めに或は正しく
此言木有斜正,而用針亦有或斜或正之不同,刺陽經者,必斜臥其針,無傷其衛,刺陰分者,必正立其針,無傷其榮,故言針應木也。
大体想像付くと思うが、ここでは豪針と木を関連づけようとしている。このまま五行が続くのだろうと推測出来れば大体この手の古典の読み方が出来上がって来たということなんだろう。次を観れば分かるように次は火との関連が出て来るという案配だ。それはさておき、相当苦しいこじつけの様にも見えるが、木がその方向を自由に変えながら成長する姿と、用途に応じて自由に方向を変えて刺鍼する豪針には確かに共通点はある。楊継州の注釈では衛分と榮分という気の深さに言及している。


口蔵比火、進陽補羸。
口蔵は火に比肩し、羸を補い陽を進める。
口藏以針,含口也。 氣之溫,如火之溫也。 凡下針之時,必口內溫針暖,使榮衛相接,進己之陽氣,補彼之瘦弱,故言針應火也。
まずは難読な漢字の羸「るい」だが、「羸れる」でつかれると読むように体の弱った状態を意味し、転じて痩せることも意味したりする(ゆえに補彼之瘦弱という注釈もつく)のだが、この辺りの詳細も漢和辞典に譲りたい。以前に昔の針の写真を掲載したが、それを参考にしてもらい意味を考査すると、口蔵は針を口に含む技法だと言う楊継州の注釈からも見て取れるように、当時の針の太さを考えると口に含む事で針を温める事が出来、それが患者さんの体に影響を及ぼせるほどだったようだ。今の豪針の太さでは口に含んでも熱が放散する速さも相当な物が有る筈で、もう意味をなさない技法とも言えよう。だが、針を打つ環境として室温を上げるという提案が浅野氏の日本語訳では提示されている。

完訳 鍼灸大成  東洋医学古典

完訳 鍼灸大成 東洋医学古典