観夫九鍼之法、毫鍼最微、七星上応、叢穴主持。
九針の法を観るに豪針は最微、七星の上に応じ、叢る経穴を主持する
言九針之妙,毫針最精,上應七星,又為三百六十穴之計
古代九針と呼ばれる一連の中でも豪針が最も優れていて、それは北斗七星のように絶対であり、体にある数多の経穴を管轄するというような意味でとらえるのが無難なように思う。
突発的に出て来た七星だが、これは七竅と対応しているという解釈を見た事が有る。つまり、七星も七竅も上に有るものという事で上等な物という意味を持つのだそうだ。
余談では有るが七竅に関しても触れておこうと思う。別に自分が書く必要など無いほど七竅と言う言葉は知られた事なので自分が触れる意義を見いだせないのだが、大目に見ていただきたい。
人の顔にある七つの穴として七竅(しちきょう)が有るとされ、口、両目、両耳、鼻の穴の合計を七竅とするという。この七竅という言葉が有名なのは荘子の寓話の「七竅に死す」が知られているからだろう。以下に該当部分を抜粋しておく。
南海之帝為儵,北海之帝為忽,中央之帝為渾沌。儵與忽時相與遇於渾沌之地,渾沌待之甚善。儵與忽謀報渾沌之紱,曰:「人皆有七竅以視聽食息,此獨無有,嘗試鑿之。」日鑿一竅,七日而渾沌死。
この寓話を読む度に、自分は自分のしている事が南海の帝や北海の帝のような事じゃ無かろうかと疑問に感じることがある。人の体は、その現状こそが素晴らしいのであって鍼灸といった外部からの干渉は、じつは七竅を穿つような真似なのではないか?と思うのだ。請われるままに打つ針の怖さも大概の物が有るが、渾沌に七竅を開けるような針も恐ろしい。とはいえ、何もしないでいる事は苦痛に他ならない。ならばせめて、真剣に向き合うべきなのだろう。そんな着地点にしか自分はまだ到達出来ないのだ。未熟さが痛い。



本形金也、有蠲邪扶正之道、
本形は金なり、蠲邪扶正の道、
本形言針也。 針本出於金古人以砭石,今人以鐵代之,蠲除也。 邪氣盛,針能除之,扶輔也。 正氣衰,針能輔之。
前の一説を受け、豪針の本体は金属であると言っている。針の材質は古くは砭石と言われた石であり、これが加工のしやすい骨に移行し、やがて金属が主体となっていたのは現代だから分かる事で、この当時はまだ多くの砭石、骨針が流通していたのだろう。それゆえ豪針は金属だと言ったのではないかと個人的に推測する。ただ、標幽賦は歌賦、つまり歌の一種であり、語呂合わせ的に無理矢理一節を追加しただけ、という可能性も有るにはあるが。
蠲だが読みは「けん」だ。この辺りはもう自分が改めて言う必要も無いと思うが一応書いておく。意味は取り除くという事で、邪を取り除き正を補うということで豪針では補瀉が出来ると言っていると解釈が出来る。これはとても興味深いと思う。すこし脱線するが鍼灸大成の最終巻の一番最後の附弁という章を参照していただきたい。こちらには古今医統大全という本からの抜粋らしい。古今医統の詳細をリンクしておく。
http://jien.ll.chiba-u.ac.jp/db/CUL_collections/search/detail/00011900.html
これは手元に無いので調べきれないので後日、もし手に入ったら観て行きたいと思っているが、この一節に「或問用針渾是瀉而無補」とある。つまり、針には補法は無いだろという一言だ。さらに「古人用之, 所以導氣, 治之以有餘之病也」と続く。補ったのではなく導いて来て治療したのだというわけだ。さらに「經曰: 陽不足者溫之以氣, 精不足者補之以味, 針乃砭石所製, 既無氣, 又無味, 破皮損肉, 發竅於身, 氣皆從竅出矣」と続く。「黄帝内経では陽が不足したなら気をもって温め、精が不足したのなら「味」で補えとある、針は砭石で作られ、これには気は無い。気がなく味も無く、ただ皮を破り肉を損傷し、体に穴を開けて、気はその穴から全部出てしまう」と訳すべきか。つまり、砭石が主体であった頃の針には補法の観念は無く、補いたければ「味」である薬を飲めと言う訳だ。実に合理的では有るが、豪針の登場は針に補法の観念を与えたという方向で解釈も出来よう。



短長水也、有決凝開滞之機。
短長は水なり、凝りを決し滞りを開く機序だ
此言針有長短,猶水之長短,人之氣血凝滯不通,猶水之凝滯而不通也。 水之不通,決之使流於湖海,氣血通,針之使周於經脈,故言針應水也。
これも豪針の説明だ。その長さを水にたとえ、その運用を凝りや滞りを打開するとしている。水の長さというのは要するに川を意味するのだろう。では滞るのは何か?というと人の気血だと楊継州は解説する。通ざれば痛むという不通則痛の観念だ。ここで人の気血を水に例え針を川に例える事で豪針を水に関連づけているようだ。


定刺象木、或斜或正、
刺すを定めし像は木、或は斜めに或は正しく
此言木有斜正,而用針亦有或斜或正之不同,刺陽經者,必斜臥其針,無傷其衛,刺陰分者,必正立其針,無傷其榮,故言針應木也。
大体想像付くと思うが、ここでは豪針と木を関連づけようとしている。このまま五行が続くのだろうと推測出来れば大体この手の古典の読み方が出来上がって来たということなんだろう。次を観れば分かるように次は火との関連が出て来るという案配だ。それはさておき、相当苦しいこじつけの様にも見えるが、木がその方向を自由に変えながら成長する姿と、用途に応じて自由に方向を変えて刺鍼する豪針には確かに共通点はある。楊継州の注釈では衛分と榮分という気の深さに言及している。


口蔵比火、進陽補羸。
口蔵は火に比肩し、羸を補い陽を進める。
口藏以針,含口也。 氣之溫,如火之溫也。 凡下針之時,必口內溫針暖,使榮衛相接,進己之陽氣,補彼之瘦弱,故言針應火也。
まずは難読な漢字の羸「るい」だが、「羸れる」でつかれると読むように体の弱った状態を意味し、転じて痩せることも意味したりする(ゆえに補彼之瘦弱という注釈もつく)のだが、この辺りの詳細も漢和辞典に譲りたい。以前に昔の針の写真を掲載したが、それを参考にしてもらい意味を考査すると、口蔵は針を口に含む技法だと言う楊継州の注釈からも見て取れるように、当時の針の太さを考えると口に含む事で針を温める事が出来、それが患者さんの体に影響を及ぼせるほどだったようだ。今の豪針の太さでは口に含んでも熱が放散する速さも相当な物が有る筈で、もう意味をなさない技法とも言えよう。だが、針を打つ環境として室温を上げるという提案が浅野氏の日本語訳では提示されている。

完訳 鍼灸大成  東洋医学古典

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