循機捫而可塞以象土、
機捫を循環させ、而して象土をもって塞ぐ
循者,用手上下循之,使氣血往來也。 機捫者,針畢以手捫者,針畢以手捫閉其穴,如用土填塞之義,故言針應土也。
ここのフレーズは楊継州の注釈を見て行かないと何を言ってるのかも良くわからない。まず循だが循環という言葉通りめぐらすという意味を持つが、それを手を用いて患部を上下にさすって気血の往来をもたらす事と言う意味に取っている。機捫だが捫という文字から見ると解りやすいと思う。これはわざわざ自分が詳細を書く必要すら無いと思うのだが、素問の離合真邪論篇でも使われているので詳細は素問に詳しい人に譲るべきなのかもしれない。他にも挙痛論篇にも出て来るはずだ。もっとも、この標幽賦にも使われているし、今までの読解にも出て来ているので、ここで説明するのは遅過ぎるぐらいか。
 http://d.hatena.ne.jp/kyougetu/20090128
 留住也。 疾速也。 此言正氣既至,必審寒熱而施之。 故經云:刺熱須至寒者,必留針,陰氣隆至,乃呼之,去除其穴不閉,刺寒須至熱者,陽氣隆至,針氣必熱乃呼之去疾其穴急捫之,ということで、抜針後の処理部分に既に出て来ているので、問題は無かろう。
 捫は簡単に意味だけを取れば「揉む」「按ず」「圧する」という意味になるので、ここでは前の文章からも推測して、針をした後の処置としての後揉を意味すると考えるのが自然だと思う。次に機だが、これは物事が変化する様を意味するので、揉んだり圧したりして物事が変化する結果に循環するという意味に取れる結果となる。
 更に針孔を塞ぐという行為に触れ、これらの一連を農業用地の開墾に例えている。土を耕すように肌肉を揉み捏ね、土を盛るように針の穴を塞ぐというわけだ。ここで、豪針の手技が五行の土とリンクさせられたと解釈しているようだ。
余談では有るが、以下に素問の離合真邪論篇を掲載しておく。
 黃帝問曰︰余聞九鍼九篇,夫子乃因而九之,九九八十一篇,余盡通其意矣。經言氣之盛衰,左右傾移,以上調下,以左調右,有餘不足,補寫於榮俞,余知之矣。此皆榮衛之傾移,虛實之所生,非邪氣從外入於經也。余願聞邪氣之在經也,其病人何如,取之奈何。
 歧伯對曰︰夫聖人之起度數,必應於天地,故天有宿度,地有經水,人有經脈。天地溫和,則經水安靜;天寒地凍,則經水凝泣;天暑地熱,則經水沸溢;卒風暴起,則經水波涌而隴起。夫邪之入於脈也,寒則血凝泣,暑則氣淖澤,虛邪因而入客,亦如經水之得風也,經之動脈,其至也亦時隴起,其行於脈中循循然,其至寸口中手也,時大時小,大則邪至,小則平,其行無常處,在陰與陽,不可為度,從而察之,三部九候,卒然逢之,早遏其路,吸則內鍼,無令氣忤,靜以久留,無令邪布,吸則轉鍼,以得氣為故,候呼引鍼,呼盡乃去,大氣皆出,故命曰寫。
 帝曰︰不足者補之,奈何。
 歧伯曰︰必先捫而循之,切而散之,推而按之,彈而怒之,抓而下之,通而取之,外引其門,以閉其神,呼盡內鍼,靜以久留,以氣至為故,如待所貴,不知日暮,其氣以至,適而自護,候吸引鍼,氣不得出,各在其處,推闔其門,令神氣存,大氣留止,故命曰補。
 帝曰︰候氣奈何。
 歧伯曰︰夫邪去絡入於經也,舍於血脈之中,其寒溫未相得,如涌波之起也,時來時去,故不常在。故曰︰方其來也,必按而止之,止而取之,無逢其衝而寫之。真氣者,經氣也,經氣太虛,故曰︰其來不可逢,此之謂也。故曰︰候邪不審,大氣已過,寫之則真氣脫,脫則不復,邪氣復至,而病益蓄,故曰︰其往不可追,此之謂也。不可掛以髮者,待邪之至時而發鍼寫矣,若先若後者,血氣已盡,其病不可下,故曰︰知其可取如發機,不知其取如扣椎,故曰︰知機道者不可掛以髮,不知機者扣之不發,此之謂也。
 帝曰︰補寫奈何。
 歧伯曰︰此攻邪也,疾出以去盛血,而復其真氣,此邪新客,溶溶未有定處也,推之則前,引之則止,逆而刺之,溫血也。刺出其血,其病立已。
 帝曰︰善。然真邪以合,波隴不起,候之奈何。
 歧伯曰︰審捫循三部九候之盛虛而調之,察其左右上下相失及相減者,審其病藏以期之。不知三部者,陰陽不別,天地不分,地以候地,天以候天,人以候人,調之中府,以定三部,故曰︰刺不知三部九候病脈之處,雖有大過且至,工不能禁也。誅罰無過,命曰︰大惑,反亂大經,真不可復,用實為虛,以邪為真,用鍼無義,反為氣賊,奪人正氣,以從為逆,榮衛散亂,真氣已失,邪獨內著,絕人長命,予人夭殃,不知三部九候,故不能久長。因不知合之四時五行,因加相勝,釋邪攻正,絕人長命。邪之新客來也,未有定處,推之則前,引之則止,逢而瀉之,其病立已。
 
 更に挙痛論篇も掲載する。
黃帝問曰:余聞善言天者,必有驗於人;善言古者,必有合於今;善言人者,必有厭於己。如此,則道不惑而要數極,所謂明也。今余問於夫子,令言而可之知,視而可見,捫而可得,令驗於己,而發蒙解惑,可得而聞乎?歧伯再拜稽首對曰:何道之問也?帝曰:願聞人之五藏卒痛,何氣使然?歧伯對曰:經脈流行不止,環周不休。寒氣入經而稽遲,泣而不行,客於脈外則血少,客於脈中則氣不通,故卒然而痛。
帝曰:其痛或卒然而止者,或痛甚不休者,或痛甚不可按者,或按之而痛止者,或按之無益者,或喘動應手者,或心與背相引而痛者,或脅肋與少腹相引而痛者,或腹痛引陰股者,或痛宿昔而成積者,或卒然痛死不知人,有少間復生者,或痛而嘔者,或腹痛而後泄者,或痛而閉不通者。凡此諸痛,各不同形,別之奈何?
歧伯曰:寒氣客於脈外則脈寒,脈寒則縮踡,縮踡則脈絀急,則外引小絡,故卒然而痛,得_則痛立止;因重中於寒,則痛久矣。寒氣客於經脈之中,與_氣相搏則脈滿,滿則痛而不可按也。寒氣稽留,_氣從上,則脈充大而血氣亂,故痛甚不可按也。寒氣客於腸胃之間,膜原之下,血不得散,小絡急引,故痛,按之則血氣散,故按之痛止。寒氣客於俠脊之脈,則深按之不能及,故按之無益也。寒氣客於衝脈,衝脈起於關元,隨腹直上,寒氣客則脈不通,脈不通則氣因之,故喘動應手矣。寒氣客於背俞之脈,則脈泣,脈泣則血虛,血虛則痛,其俞注於心,故相引而痛。按之則熱氣至,熱氣至則痛止矣。寒氣客於厥陰之脈,厥陰之脈者,絡陰器,繫於肝,寒氣客於脈中,則血泣脈急,故脅肋與少腹相引痛矣。厥氣客於陰股,寒氣上及少腹,血泣在下相引,故腹痛引陰股。寒氣客於小腸膜原之間,絡血之中,血泣不得注入大經,血氣稽留不得行,故宿息而成積疾矣。寒氣客於五藏,厥逆上泄,陰氣竭,陽氣未入,故卒然痛死不知人,氣復返則生矣。寒氣客於腸胃,厥逆上出,故痛而嘔也。寒氣客於小腸,小腸不得成聚,故後泄腹痛矣。熱氣留於小腸,腸中痛,癉熱焦渴,則堅乾不得出,故痛而閉不通矣。
帝曰:所謂言而可知者也。視而可見奈何?歧伯曰:五藏六府,固盡有部,視其五色,黃赤為熱,白為寒,青鄢為痛,此所謂視而可見者也。
帝曰:捫而可得奈何?歧伯曰:視其主病之脈,堅而血及陷下者,皆可捫而得也。帝曰:善。余知百病生於氣也。怒則氣上,喜則氣緩,悲則氣消,恐則氣下,寒則氣收,_則氣泄,驚則氣亂,勞則氣耗,思則氣結。九氣不同,何病之生?
歧伯曰:怒則氣逆,甚則嘔血及飧泄,故氣上矣。喜則氣和志達,榮衛通利,故氣緩矣。悲則心系急,肺布葉舉而上焦不通,榮衛不散,熱氣在中,故氣消矣。恐則精卻,卻則上焦閉,閉則氣還,還則下焦脹,故氣不行矣。寒則腠理閉,氣不行,故氣收矣。_則腠理開,榮衛通,汗大泄,故氣泄。驚則心無所倚,神無所歸,慮無所定,故氣亂矣。勞則喘息汗出,外內皆越,故氣耗矣。思則心有所存,神有所歸,正氣留而不行,故氣結矣。


 これも日本語訳が沢山存在するので、単純に何が書かれているのかを知りたいと言う方はそちらを参考にされたし。素問、霊枢、難経の三書は東洋医学では基礎分野とされ、それ故に多くの方が懸命に取り組んでおられる。なので、それらの研究者の方の発表を読むのが臨床に生かす最短距離であろう。だが、自分は思うのだ。やはり原文を自分で読んでみた時の印象以上のものは無いのではないかと。それ故に、自分はまず原文を提示したいと考えているし、その考えに基づいてこの場所ではまず原文を提示し、その後に自分の考えを書くという形式を取っている。
 とはいえ、この場合では言及した部分云々というより、この素問の一文は東洋医学における治療の概念の根幹とも言えるような部分なので仔細に見ておいた方が良いのではないかと個人的には思うのだが。



実応五行而可知。
まさに五行を知る事となる
五行者,金水木火土也,此結上文,針能應五行之理也。
実も応も「まさに」という意味なので、ここでは感嘆符のような意味合いと理解した。内容的には以前の部分でネタばれのような事をしてしまっているので何とも申し訳ない状態になっているが、豪針が五行と対応しているのだという結論が宣言されたというだけだ。注釈も、それ以上の部分から逸脱はしない。



然是一寸六分、包含妙理、
然してこの一寸六分、妙なる理を包含する。
言針雖但長一寸六,能巧運神機之妙,中含水火回倒陰陽,其理最玄妙也。
この部分だが、書物によっては三寸六分と記載されている物(「然是三寸六分」とあるようだ。当たり前では有るが楊継州の注釈も「言針雖但長三寸六」と書かれていた)もあるらしい。有るらしいのだが、豪針を意味する言葉として寸法が提示されているという意味合いから、ここは特に何かを書き加える出なく一寸六分とした。内容としては寸六の豪針は素晴らしいよ、という事だ。注釈をみると、その素晴らしい理由と言うのが豪針が五行とリンクし、それを操作表現できるからという意味合いが書かれる。


雖細腊于毫髪、同貫多岐。
豪髪の細さの棹幹といえども、多岐に渡り同じく貫く
腊、針之幹也。岐、気血往来之路也。言,鍼之幹、雖如毫髪之微小、能貫通,諸経血気之道路也。
まず面倒なのは雖という漢字だが「いえども」という意味だと解ればあとは早かった。針体は髪の毛の細さだというが、体を走行する経絡の気血の道路を貫いて貫通させる能力が有るのだ、という意味であろう。この辺りは歌賦という性質上、韻を踏んだりして読みやすくする工夫が施された文章であり、前文と文字数が同じで、区切りも同じという部分を考慮するに、一つのフレーズとして成立していると考えるのも道理かもしれない。


可平五臓之寒熱、能調六腑之虚実。
五臓の寒熱を平によし、六腑の虚実をととのうに能う。
平、治也。調、理也。言,鍼能調治,臓腑之疾、有寒則温之、熱則清之、虚則補之、実則瀉之
平というのが治めるという意味であり、調というのが理であるとする楊継州の解説は思わず唸ってしまうほどの的確さであり奥が深い。内容としては豪針による鍼治療の可能性に関しての続きで、寒熱、虚実に対応出来るという宣言にも似た文章だ。前の部分でも多少触れたが、標幽賦以前の針による治療の根幹は瀉法であり、それ故に熱を与えたり、気を充実させるという部分は灸や漢方薬に大きく依存していた。それを竇漢卿は「針だけでも出来るよ」と標幽賦で宣言している。さらに、ここまで見ていて気がつく事は迎随と針の操作による補瀉が書かれているが、ここでの迎随はあくまで経絡に対しての迎随であり、呼吸による迎随ではないと言う事だ。どうも竇漢卿から発展した鍼灸の技法に於いては、経絡が重要視されていると見て良いだろう。これは経絡が臓腑に至るルートであるから経絡に対して迎随を行ったりすることが補瀉を可能にしているという発想ではないか?と推測も出来る。この辺りを考慮において標幽賦を見て行くと面白いのではないか?と個人的には考えている。