軽滑慢而未来、沈渋緊而已至
軽く滑りあなどると而して未だ来ず、沈み渋く緊張すると而してこれ至る
輕浮,滑虛,慢遲,入針之後,值此三者。 乃真氣之未到,沉重,濇滯,緊實,入針之後,值此三者,是正氣之已來   
刺鍼の後の針の状態より気血の状態を知る基準が書かれている。これは個人の少ない臨床経験からも感じる事だが、補瀉の基本として考えても良いのではないかと思っている。補瀉の加減を時間などで区切るのが今の主流ではあるが、やはり個人の差と言うものを考えると、一概に「補法5分で瀉法30分」などと決めてしまうマニュアル化は如何なものかと思う。だが、例えば、これらの時間に従うにしろ、打ったはりの状態を見て加減して行くという方法をとる事で、更に綿密な補瀉が可能になるのではないかと個人的には想像している。内容的には刺鍼した針が軽い感触で浮いていたり滑ったり、なんとなく充実していない状態では気血が至ったとは言えず、その逆の沈む感じや動きが渋る、重いといった感触が得られるとこれは気が至った状態と判断出来るという。打った針を時間を見て抜いて終了という臨床とは異なる針の手法は、今見ても新しい。
  
 
既至也、量寒熱而留疾、
既に至れば、寒熱を量りしかして留め疾し
留住也。 疾速也。 此言正氣既至,必審寒熱而施之。 故經云:刺熱須至寒者,必留針,陰氣隆至,乃呼之,去除其穴不閉,刺寒須至熱者,陽氣隆至,針氣必熱乃呼之去疾其穴急捫之,
留めるとは往なり、疾とは速さなりと言う事で、刺鍼した場所の寒熱を診て針を留めるか抜くかを判断しろという補瀉技術の続きとなる。つまり前節で触れた気血の充実と針の感覚だけでは不足であり、刺鍼した場所の寒熱もまた判断の根拠としろと言う訳だ。さらに黄帝内経にも同様の事が書かれていると続く。こちらの黄帝内経曰くの部分は特に何遍かという事ではなく、黄帝内経で言及された寒熱と補瀉の方法論の総論のような形になっている。詳細は黄帝内経を参考にされたい。またこの辺りの文章は楊継州のオリジナルというよりも大全からの引用を楊継州が膨らませて書いているようだ。参考までに抜粋すれば大全の注釈は以下のようになる。
留住也。疾速也。此言,正気既至、必審寒熱,而施之。故経云、刺熱,須至寒者、必留鍼、陰気隆至、乃呼之、去徐、其穴不捫。刺也,須至熱者、陽気隆至、鍼気必熱、乃吸之、去疾、一穴急捫。
 
 
未至也、据虚実而候気。
未だ至らざれば、虚実にしかして候気に据える
氣之未至,或進或退,或按或提,導之引之,候氣至穴而方行補瀉。 經曰:虛則推內進搓,以補其氣,實則循捫彈努,以引其氣。
刺鍼しても気が未だ至らない場合は、その虚実に応じて気の操作をしろという一文だ。この一文だけをみると、あまりにも放ったらかしで、操作方法の書かれていない不親切さを感じるかもしれないが、これも前までの状況と同じく、竇漢卿は標幽賦を読むものが黄帝内経を基礎知識として持っているものとして書いているので、ここもまた黄帝内経に戻り、その方法を推察するのが妥当だということだ。故に、楊継州も黄帝内経にその方法を求めている。内容としては、気が至らないのであれば(つまり、刺鍼した後の針の感触が軽く滑り充実していないのであれば)針を或は進め、或は退き、或は按じ或は提する、つまり積極的に針を動かす現代的な補瀉の手法をつかって気を導いて、そして補瀉を行えとしている。
 
 
気之至也、如魚呑鈎餌之沈浮、気未至也、如閑処幽堂之深邃。
気が至れば、魚が釣り針の餌を飲み込んだごとくの浮沈を感じ、気が未だ至らざれば、それは人気の無い幽堂の深邃のごとく。
氣既至,則針有濇緊,似魚吞鉤,或沉或浮而動,其氣不來,針自輕滑,如閑居靜室之中,寂然無所聞也。
刺鍼直後の気血の充実を針が軽く滑る、渋く重いという表現で判断したが、こちらは補瀉の操作後の気血の充実を抽象的に表現していると見て良さそうだ。文脈的にも、この前節で刺鍼後の補瀉の手技に触れていることからも、時系列的に補瀉の後の気血の充足と判断できよう。つまり、この感覚もまた、マニュアル化された補瀉とは異なる治療を考えるに大きな意味を持つものだと自分は考えている。基本的には感覚としては大きく異なる事は無く、気血が充実したのであれば、その刺鍼した針は魚が釣り針に掛かったような重い感触で浮沈し、まだ気血の充実を見ないのであれば、針はまるで人気の無い建物を奥に奥にと進むかのような空虚感が有るということだろう。実際、気虚の症状が激しい患者さんでは打った針がスカスカと動いて困惑する事が有る。これは多くの先生が感じているのではないだろうか。
 
 
気速至而速効、気遅至而不治。
気が速く至れば速く効き、気が遅く至れば治らず。
言下針若得氣來速,則病易痊,而效亦速也。 氣若來遲,則病難愈,而有不治之憂,故賦云:氣速效速,氣遲效遲,候之不至,必死無疑矣。
単純に読み下してしまえば上記のように気が早く至れば速く治るし、そうじゃなきゃ治りが悪いという意味で完結してしまうのだが、問題なのは楊継州の注釈にある「得気」というセンテンスだ。これもまた大全の注釈と比較してみる。以下に大全の注釈を抜粋する。
言,下鍼、若得気来速、則病易痊、而効亦速也。気若来遅、則病難愈、而有不治之憂。故賦云、気速効速、気遅効遅。候之不至、必死無疑矣
と言う事で大全にも得気という言葉が見られる。この時代には既に得気という観念が一般的(当然鍼灸臨床家の中でだろうけど)だったと見ても良いだろう。楊継州が大全に書かれた物を多くそのまま引用している傾向が有るのは確かだが、あまりにも突飛な事なら削除されたり書き換えられたりしてるので、大きく外れた認識ではないと個人的に考えているが、この辺りの判断は各個人に任せた方が妥当かもしれない。
 さて、そうなると、ここまでの標幽賦での刺鍼技術に関する記述は、大成の時代での解釈としては得気と補瀉に二分出来るように解釈が可能になるように思える。つまり、刺鍼直後の気の充足、刺鍼後針を操作した後の気の充足という二つのフェイズに分解すると、前半を得気として解釈する事が出来そうなのだ。そういう考えから再読すると、まず刺鍼の後に得気したか否かを針の軽さや滑りといった感覚で知り、針が渋く重く感じるまで刺鍼する。これによって得気が得られるわけだ。その後に補瀉を行うというもので有ったと解釈が出来そうだ。とはいえ、これもまた推測の上に推測を積み上げているにすぎず、一つの解釈でしかないことは明記しておく。だが、標幽賦において、経穴は気血の操作をする場所であり、気血の充実を見ない事には治療にはならないというスタンスをとっていることは間違いないと思う。