十三鬼穴考01

 十三鬼穴の初出は孫思邈の千金翼方と言われる。孫思邈は孫真人ともいい、薬王などと称される事もある。方剤に詳しく仙人と目される事もあるが、現在は千金要方、千金翼方の作者として知られている。
 以下に千金翼方に書かれた十三鬼穴の部分を抜粋する。
 
針邪鬼病圖訣法︰
 凡百邪之病,源起多途,其有種種形相,示表癲邪之端,而見其病,
 或有默然而不聲, 或複多言而謾語,或歌或哭,或笑或吟,或眠坐溝渠,
 啖食糞穢,或裸露形體,或晝夜游走, 或 扁鵲曰︰百邪所病者,針有十三穴。
 凡針之體,先從鬼宮起。
 次針鬼信,便至鬼壘,又 至鬼心,未必須並針,止五六穴即可知矣。
若是邪蟲之精,便自言說,論其由來,往驗有實, 立得精靈,未必須盡其命,求去與之。男從左起針,女從右起針,若數處不言,便遍針也。 依訣而行,針灸等處並備主之。

第一初下針,從人中名鬼宮,在鼻下人中左邊下針,出右邊。
第二次下針,手大指爪甲下三分,名鬼信。入肉三分。
第三次下針,足大指爪甲下,入肉二分,名鬼壘,五指皆針。
第四次下針,在掌後膻紋入半解,名鬼心。
第五次下針,在外踝下白肉際,火針七, 三下名鬼路。
第六次下針,入發際一寸,大椎以上火針七, 三下名鬼枕。
第七次下針,去耳垂下五分,火針七, 三下名鬼床。
第八次下針,承漿從左刺出右,名鬼市。
第九次下針,從手膻紋三寸兩筋間針度之,名鬼路,此名間使。
第十次下針,入發際直鼻上一寸,火針七, 三下名鬼堂。
第十一次下針,陰下縫灸三壯,女人玉門頭三壯,名鬼藏。
第十二次下針,尺澤膻紋中內外兩紋頭接白肉際七, 三下名鬼臣,此名曲池。
第十三次下針,去舌頭一寸,當舌中下縫,刺貫出舌上。仍以一板膻口吻,安針頭令舌 不得動,名鬼封。

上以前若是手足皆相對,針兩穴。若是孤穴,即單針之。
 
 千金翼方という書物に関してだが、孫思邈は、京兆花原(陝西省耀県)の出身で、随の文帝の開皇元年(581)ころ生まれ、唐の高宗の永淳元年(682)に亡くなったとされる事から唐の時代に書かれたものとされている。
 まず、当時の医療技術を編纂する形で千金要方が書かれ、それを補完するかたちで千金翼方が書かれたという経緯を持っている。
 この書物の影響は日本でも見受けられ、藤原京などで出土する木簡に書かれた内容と符合するように見受けられるため、その時代には伝播していたのではないか?とされる。
 だが、この場合完全な形での出土ではないということ、更に、千金要方、千金翼方の成立年代に疑問が残るため断言には至らないという認識が必要であろう。蛇足では有るが、中国の医療系古典では数世代に渡って編纂が続けられる事も有るとされ、同時に複数の筆者によって書かれる事もある。
 それが、古代の有名な医家の名前で出版されることが通常であり、実際に書いた筆者や背景が明確にされることは少ない。ゆえに、孫思邈の執筆であるという確たる証拠を得るには至って居ないと考えてよいであろう。
 千金翼方だが、この本が完全な形で残っているのは実は中国ではなく日本であるという。本土では既に散逸しているようだ。この辺りに関しての調査は現時点においては詳細に渡っておらず、これもまた断言には至らない。
 十三鬼穴に触れた部分は千金翼方の針灸中に有る。
 さらに、十三鬼穴は後の鍼灸聚英、鍼灸大成に引き継がれて記されて行く。その際に複数の部分が書き換えられて行くのだが、その詳細は後に記述する。鬼穴という名称に関してだが、鬼という文字の発音が中国においては帰と似ていることから「鬼」が「帰」に通じるとされ、帰って来た異形の物という意味合いを持たせているようだ。
 また、魂という漢字からも推測出来るように、所謂スピリチュアルな意味合いも含まれていることから、人としての意識や存在という抽象的な意味を強く持ち、その組み合わせから「どこかから帰ってきた異形の精神的なもの」というニュアンスで認識するのが自然ではないかと考えられる。
 転じて「鬼」=「死んだ人の霊」という認識でも不自然ではないだろう。
 
 実際に当時から十三鬼穴の臨床上での応用は上記の引用にもあるように癲病や譫語といった精神症状に対しての配穴であり、それゆえにこの十三穴は鬼という名称が与えられている。逆説的に言ってしまえば、当時の医療者の認識としては体性感覚からの刺激によって高次脳機能の一部に大して影響を与える事が可能であり、それは治療として成立させる事も可能であるという考え方が存在したということになる。
 現在では体性自律神経反射による侵害刺激から自律神経経由の全身症状への影響はある一定の機序と関連性が証明されているが、それよりも上位である脳の機能に対してダイレクトに侵害刺激を利用するという発想は驚嘆に値すると考える。
 この発想は孫思邈一代の発想ではなく、後の醫山夜話では多重人格に対して十三鬼穴を配穴して一定の効果を得たという記述もある。何より、聚英、大成と引き継がれ、現在では天津中医薬大学の石学敏教授の発案による醒脳開竅法の根拠とされている事からも面々と引き継がれ、一定の結果を出していると考えられる。