十三鬼穴考03

 前回の補足から。
 五鍼の最後の饪饪という漢字は日本語には存在していないためフォントによっては判読できないので注意してほしい。(11/16:補足 一応台湾系のサイトから見つけてきた。鋥鋥となる)中国語の簡易な漢字である簡体字が表示できるフォントであれば問題ない筈である。金へんに呈と書いている。意味としては光らせる、輝かせる、とするべきか? 内容からして火針の使用を前提とした表現なので、無理に訳すとすると「七分ほど変色して光っている火針を三分ほど刺し入れる」となるのではないだろうか。
 
 歌賦は鍼灸聚英の四巻に多く掲載されている。この当時に有名であった歌賦を編纂したものとされている。その多くは鍼灸大成にも再掲載されている。その中の一つを以下に抜粋する。

鍼灸大成二巻 席弘賦(鍼灸大全)
凡欲行針須審穴,要明補瀉迎隨訣,胸背左右不相同,呼吸陰陽男女別,
氣針兩乳求太淵,未應之時瀉列缺,列缺頭痛及偏正,重瀉太淵無不應,
耳聾氣痞聽會針,迎香穴瀉功如神,誰知天突治喉風,虛喘須尋三里中。
手連肩脊痛難忍,合谷針時要太衝,曲池兩手不如意,合谷下針宜仔細,
心疼手顫少海間,若要除根覓陰市,但患傷寒兩耳聾,金門聽會疾如風,
五般肘痛尋尺澤,太淵針後卻收功,手足上下針三里,食癖氣塊憑此取。
取鳩尾能治五般癇,若下湧泉人不死,胃中有積刺璇璣,三里功多人不知,
陰陵泉治心胸滿,針至承山飲食思,大杼若連長強尋,小腸氣痛即行針,
委中專治腰間痛,腳滕腫時尋至陰,氣滯腰疼不能立,膻骨大都宜救急。
氣海專能治五淋,更針三里隨呼吸,期門穴主傷寒患,六日過經猶未汗,
但血乳根二肋間,又治女人生產難,耳內蟬鳴腰欲折,膝下明存三里穴。
若能補瀉五會間,且莫向人容易說,晴明治眼未效時,合谷光明安可缺。
人中治痲勁最高,十三鬼穴不須饒,水腫水分兼氣海,皮肉隨針氣自消,
冷嗽先宜補合谷,卻須針瀉三陰交,牙疼腰痛并咽痺,二間陽谿疾怎逃,
更有三間腎俞妙,善除肩背浮風勞,若針肩井須三里,不刺之時氣未調。
最是陽陵泉一穴,膝間疼痛用針燒,委中腰痛腳攣急,取得其經血自調,
腳痛膝腫針三里,懸鍾二陵三陰交,更向太衝須引氣,指頭麻木自輕飄,
轉筋目眩針魚腹,承山崑崙立便消,肚疼須是公孫妙,內關相應必然瘳。
冷風冷痺疾難愈,環跳腰俞針與燒,風府風池尋得到,傷寒百病一時消,
陽明二日尋風府,嘔吐還須上脘療,婦人心痛心俞穴,男子剥癖三里高,
小便不禁關元好,大便閉濇大敦燒,髖骨腿疼三里瀉,復溜氣滯便離腰。
從來風府最難針,卻用工夫度淺深,倘若膀胱氣未散,更宣三里穴中尋,
若是七疝小腹痛,照海陰交曲泉針,又不應時求氣海,關元同瀉效如神,
小腸氣撮痛連臍,速瀉陰交莫再遲,良久湧泉針取氣,此中元妙少人知。
小兒脫肛患多時,先灸百會次鳩尾,久患傷寒肩背痛,但針中渚得其宜,
肩上痛連臍不休,手中三里便須求,下針麻重即須瀉,得氣之時不用留,
腰連胯痛急必大,便於三里攻其隘,下針一瀉三補之,氣上攻噎只管在。
噎不住時氣海灸,定瀉一時立便瘥,補自卯南轉針高,瀉從卯北莫辭勞,
逼針瀉氣令須吸,若補隨呼氣自調,左右撚針尋子午,伸針行氣自迢迢,
用針補瀉分明說,更用搜窮本與標,咽喉最急先百會,太衝照氣及陰交。
學者潛心宜熟讀,席弘治病名最高。
 
 表題脇に有るように鍼灸大全からの転載である。こちらは鍼灸聚英にも掲載されている。内容は同様。手元の人民衛生出版社の鍼灸聚英では席弘という人は江西の人間で、この歌賦は彼の家伝の技であるらしい。年代としては聚英が明の高武の編著で1519年に完成しているとされるので聚英→大全→大成という成立順となるわけだが(11/16:訂正 大全は聚英の前だ。1439年に成立したという。ゆえに成立年代は大全→聚英→大成となる)どちらにせよ席弘という人物はそれ以前の人となる。
 この歌賦には症状に対する配穴が書かれている。その中で人中治痲勁最高,十三鬼穴不須饒と書かれていて人中が鬱病の症状に効果があり、治療に十三鬼穴を外す事は出来ないと書いている。(修正を入れた:http://d.hatena.ne.jp/kyougetu/20081202
 

 テーマからは脱線するが、この時代の、とくに歌賦は症状に対しての配穴で止まっているものが多い。その配穴理由などは特に書かれていないし、症状の分析もなされない。いわゆる治療マニュアルという様相である。この形態の医療書はこの時代に多かったらしく、日本にも多く輸入されたという。この後に日本は鎖国となり、海外の文献の流入が極端に減少するため、これらの症状→配穴という流れを日本流に解釈した日本独自の鍼灸が生まれる切っ掛けになったとする文献も見かけた事が有る。