時間が空いたが補井当補合に関連する部分の原則と展開を。
 まず最初に観念として出てきたのが難経であるらしい。難経に関しては専門のサイトが数多有るのでそちらの方を参考にしていただきたい。基本的に81の短編によって構成されているので読む事自体は短時間で済む筈だ。ただ、難経自体に詳細な解説がついていない事が原因して、様々な解釈が後世に出たため内容を推し量る事は極めて困難と言えよう。それゆえに「どの解釈が正しい」といった視点で難経を語る事自体に意味をなさないと自分は判断する。
 まず、難経の七十三難の原文から抜粋する。参考にしているのは台湾の方のサイトだ。
 The qi http://www.theqi.com/index.html
 では抜粋する。
七十三難曰 諸井者 肌肉淺薄 氣少 不足使也 刺之奈何?
然。諸井者 木也 滎者,火也。火者木之子 當刺井者 以滎瀉之。
故經言:補者不可以為瀉,瀉者不可以為補,此之謂也。
 意訳するとすれば「七十三難に曰く、井穴は皆肌肉が薄く気も少なくて鍼に使うには不便だがどうだろう? そうですね。井穴は木に属していて榮穴は火に属しています。火は木の子供ですよね、つまり井穴を瀉す変わりに子である榮穴を瀉すことが出来ますね。これを黄帝内経では『補うべきときに瀉してはならず、瀉すべきときに補ってはならぬ』と言っているのです」とでも解釈出来まいか。つまり、同一の経絡の五兪穴に六十九難で展開された治療原則を応用していると考えられる。六十九難に関しては専門家が多く居るので詳細はそちらに委ねたい。
 七十三難に関しては古典では扱いが重要視されていて、鍼灸大成に補瀉の観念の代表的なものとして掲載されている。六十九難のみが一人歩きしている日本とは少々扱いが異なっていることに注意されたい。鍼灸大成第四巻の難経補瀉の一遍に存在している。
 http://park1.aeonnet.ne.jp/~pekingdo/taisei4x.htm
 北京堂様のサイトに原文が掲載されているので参照されたい。
 余談として難経に関して少し。難経の成立年代に関してだが、前漢の辺りのBC106年という説、BC190年という説などがあるが定かではない。秦越人扁鵲が編纂したと言われているが、これもまた定かではない。だが極めて古い医学書である事は間違いないと思われ、その内容に「経言」というフレーズが有るように、難経が成立した時点では黄帝内経はすでに存在したという事が解るので、時代的には黄帝内経傷寒論の間ぐらいと見ても良さそうだ。日本では弥生時代あたりか。まさか後の世になって学生に暗記シートを作られて試験対策に丸暗記されるとは編者の扁鵲も想像すらしなかったろうに。
 さて、難経で一度提示された「同一経絡上に置ける母子関係の応用」は、難経から時代を下って更に展開して行ったようだ。鍼灸聚英(1519年成立、明の高武の編纂)にはこのような文章で登場する。
 手厥阴心包络经 配肾.(相火)起天池.终中冲.多血少气.戌时注此.
是动病 手心热.臂肘挛痛.腋肿.甚则胸胁肢满.心中澹澹大动.面赤目黄.喜笑不休.是主心包络.
所生病 烦心心痛.掌中热.盛者.寸口大三倍于人迎.虚者.寸口反小于人迎.
补 用亥时 中冲(穴在手中指端.去爪甲如韭叶.为井.木.木生火.为母.虚则补其母.滑氏曰.井者.肌肉浅薄.不足为使也.补井者.当补合.)
泻 用戌时 大陵(穴在掌后两筋间陷中.为俞.土.火生土.为子.实则泻其子.)
 これは聚英の第二巻の十二経病井榮兪経合補虚瀉実の篇に有る。
 こちらの中衝に関しての部分を見てもらいたい。前記の七十三難と同様の展開がなされ、井穴には鍼を打ちにくいという部分から、まず木と火の関連が語られる。更に聚英では補法に関して展開して行く。つまり、中衝は木の経穴であるので母に当たる土である合穴を補う事で井穴に対する補法とする事が可能であろうという論理展開である。ここで文章中に「补井者.当补合」と出てくる。井穴を補う事は合穴を補うに当たるというわけで、これは後の鍼灸問対(1530年成立、明の王機の編纂)という本に再録され現代に伝わる。
 つまり、同一経絡上での母子関係で補瀉を調節が可能であろうという発想である。
 これを瀉井須瀉榮、補井当補合説といい、まあ、単純に補井当補合とかと呼ばれるわけだ。これは中国での鍼灸の教科書を入手してみると解る事だが、向こうでは普通にカリキュラムに入っている考え方で、自分もそこで初めて知ったという次第だ。特別珍しい考え方という訳ではないと個人的には思っている。
 さて。
 以後は推論である。この同一経絡上における五行の母子関係による補瀉の加減という発想を前提に、十三鬼穴の間使の扱いを再度確認すると、中衝に大してアプローチを考えたときに、それが井穴故に鍼が使いにくいという臨床的な現実が首をもたげてくる。そこで同一経絡上で中衝の子である榮穴の労宮に瀉法を行おうという発想が生まれる。もとより榮穴は清熱の作用を持つから、気滞のように鬱結し熱化したものに対しても効果は高かったろう。だが、労宮も場所は掌という、非常に痛みを伴いやすい場所にある。ここに鍼を打ち瀉法を施すというのは患者に取って苦痛であったろうと推測できよう。また、今回の十三鬼穴というものは精神疾患に対応する配穴である。患者の精神状態は極めて悪く、いわゆるインフォームドコンセントなど成立しまい。その前提で更に労宮の使用を工夫しようとすると、この労宮の母である大陵が該当してくる。が、すでに大陵は使われている。ので、もう一つ上で労宮と相克の関係を持つという関連性を鑑みて間使が選ばれた?というのは遠回り過ぎるだろうか?
 この推論に関しては正直、考えた自分本人でも眉唾な部分を感じざるを得ない。やはり、あまりにも遠回り過ぎる考え方であるし、何より聚英、大成を読んでいくと気がつく事だが、あくまでこの時代の鍼灸の本は病状に対しての配穴のみであり、その配穴理由というものに関しては追求していないのだ。故に、間使という選択もまた、経験則に裏付けされた病状に対しての配穴でしかないと考える方が自然であろうと自分は感じている。