kyougetu2008-12-20

大成において補瀉に関して集中的に書かれているのは四巻(本によっては五巻)の後半である。内経補、難経補瀉、と続く一連の部分だ。黄帝内経の世代から大成の書かれた時代までの補瀉の総纏め的な部分で、鍼灸治療における補瀉の観念がどのようにシフトしたのかが良くわかり非常に勉強になる部分だと思う。
 この部分に関してはもちろんだが、やはり針の操作という部分を分解して見て行こうとすると、標幽賦の読み込みから始めた方が良いのではないか?と考える。標幽賦(ひょうゆうふ)は、この時代の鍼灸の手技を語るときに頻繁に引き合いに出される歌賦として、良く知られているのではないだろうか? その割に見かける事の少ない歌賦なので、私も結局、学生時代に中国で鍼灸大成を手に入れるまで何が書かれているのか知らなかった。某大家の先生の本の紹介文などには一つの到達点として書かれていたりするのだが。
 以下に個人的に調べた標幽賦に関してのいくつかを書こうと思う。
 まず、作者だが竇漢卿(とうかんきょう)と書かれているが、こちらは字名であり本名を竇黙と言ったようだ。簡単に書くと金元代の人で元のモンゴル帝国フビライ・カンの高級官僚である。人となりに関してはこちらのサイトさんを参考にされたい。
 http://1st.geocities.jp/kadajyuku/meiigaiden.html
 古典に出て来る医師が沢山掲載されていて読み物としても非常に面白いのでお勧めしたい。私も孫思邈に関しての部分など非常に参考にさせていただいている。
 本国の中国での紹介も転記しておく。
 竇漢卿 (1196-1280) 金元时代针炙学家。名杰,后改名默,字子声。广平肥乡(今河北省邯郸专区肥乡县)人
 また、竇漢卿の史跡を辿った方がいらっしゃるようで、その方が旅行記を発表されているの参考までにリンクさせていただきたい。
 http://homepage2.nifty.com/kadado/Bianquemiao.html 
 更に、ついでと言っては何だが中国の医学博物館の関係サイトに肖像画を見つけて保存しておいた物が有るのでこちらは掲載しておく。
 さて、この竇漢卿という人だが傑出した人物であったというのは当然として、この人の治療に関して調べてみると、この人の配穴の特徴に八脈交会穴を非常に上手に使ったらしく、後の世で八脈交会穴を竇氏八穴と呼んだという記述が見られる。
 http://www.med66.com/html/2008/10/li4212151132018002742.html
 八脉交会穴又称“窦氏八穴”
*補足を入れたhttp://d.hatena.ne.jp/kyougetu/20090221
 標幽賦だが、初出は針経指南という本であるという。『針経指南』一巻。元・竇傑(漢卿)撰。竇桂芳の『針灸四書』序によれば、元・元貞元年(一二九五)前の成立。という事で竇漢卿の編纂した本であるという。これも他の本と同様に元の崩壊と同時に散逸し、日本に渡来したものが現存していて、それを元に現在流通しているものが編纂されたという記述が有る。
 http://www.hum.ibaraki.ac.jp/mayanagi/paper01/jpkoisho.html
 この標幽賦という歌賦は聚英と大成に掲載されているのが有名だ。他にも針方六集などに収録されているようだが、こちらは原本を持っていないので確認は出来ない。が、針方六集を検索すると標幽賦が掲載されているとあるので間違いないだろう。聚英の標幽賦と大成のそれの違いは、大成の方には編者の楊継州による注釈が加えられている。
 今回は注釈無しの標幽賦、聚英に納められている標幽賦を参考に書いてみる。元の時代に鍼灸治療はどのように発展していたのかを単純に読み取れるのではないか?という判断だが、実際、楊継州による注釈の部分は難解な物も多いため、自分の力に余るという実情もある。

『標幽賦』竇黙(竇漢卿) 

拯救之法、妙用者鍼。
察歳時于天道、定形気于予心。
春夏痩而刺浅、秋冬肥而刺深。
不窮経絡陰陽、多逢刺禁、既論臓腑虚実、須向経尋。
原夫起自中焦、水初下漏、太陰為始、至厥陰而方終。穴出雲門、抵期門而最後。
正経十二、別絡走三百余支、正側仰伏、気血有六百余候。
手足三陽、手走頭而頭走足、手足三陰、足走腹而胸走手。

要識迎随、須明逆順。
況夫(聚英だと乎)陰陽、気血多少為最、厥陰太陽、少気多血、太陰少陰
少血多気;而又気多血少者、少陽之分;気盛血多者、陽明之位。
先祥多少之宜、次察応至之気。
軽滑慢而未来、沈渋緊而已至
既至也、量寒熱而留疾、未至也、据虚実而候気。
気之至也、如魚呑鈎餌之沈浮、気未至也、如閑処幽堂之深邃。
気速至而速効、気遅至而不治。

観夫九鍼之法、毫鍼最微、七星上応、叢穴主持。
本形金也、有蠲邪扶正之道、短長水也、有決凝開滞之機。
定刺象木、或斜或正、口蔵比火、進陽補羸。
循機捫而可塞以象土、実応五行而可知。
然是一寸六分、包含妙理、雖細腊于毫髪、同貫多岐。
可平五臓之寒熱、能調六腑之虚実。
拘攣閉塞、遣八邪而去矣、寒熱痺痛、開四関而已之。
凡刺者、使本神朝而後入、既刺也、使本神定而気随、神不朝而勿刺、神已定而可施。
定脚処、取気血為主意、下手処、認水木是根基。
天地人三才也、湧泉同璇璣、百会、上中下三部也、大包与天枢、地機。
陽蹻、陽維併督帯、主肩背腰腿在表之病
陰蹻、陰維、任衝脉、去心腹脇肋在裏之疑(疑者、疾也 と大成では付記されている)。
二陵、二蹻、二交、似続而交五大、両間、両商、両井、相依而別両支。 
大抵取穴之法、必明分寸、先察自意、次観肉分、或伸屈而得之、或平直而安定。
(聚英、大成においては上記の一分の文頭が「足見取穴之法」となっている)
在陽部筋骨之側、陥下為真、在陰分郄膕之間、動脉相応。
取五穴用一穴而必端、取三経用一経而可正。
頭部与肩部詳分、督脉与任脉易(一作易:聚英にて付記)定。

明標与本、論刺深刺浅之経、住痛移疼、取相交相貫之経。
豈不聞臓腑病而求門、海、兪、募之微;
経絡滞、而求原、別、交、会之道。
更窮四根三結、依標本而刺無不痊、但用八法五門、分主客而鍼無不効。
八脉始終連八会、本是紀綱、十二経絡十二原、是為枢要。
一日取六十六穴之法、法(方:聚英)見幽微、一時取一十二経之原、始知要妙。

原夫補瀉之法、非呼吸而在手指、速効之功、要交正而識本経。
交経謬刺、左有病而右畔取、瀉絡遠鍼、頭有病而脚上鍼。
巨刺与謬刺各異、微鍼与妙刺相通。
観部分而知経絡之虚実、視沈浮而辨臓腑之寒温。
且夫先令鍼耀而慮鍼損、次蔵口内、而欲鍼温。
目無外視、手如握虎、心無内慕、如待貴人。
左手重而多按、欲令気散、右手軽而徐入、不痛之因。
空心恐怯、直立側而多暈、背目沈掐、坐臥平而没昏。
推于十干、十変、知孔穴之開闔、論其五行、五臓、察日時之旺衰。
伏如横弩、応若発機

陰交陽別而定血暈、陰蹻、陽維而下胎衣。
痺厥偏枯、迎随俾経絡接続、漏崩帯下、温補使気血依帰。
静以久留、停鍼待之。
必准者、取照海治喉中之閉塞、端的処、用太衝治心内之呆痴。
大抵疼痛実瀉、痒麻虚補。
体重節痛而兪居、心下痞満而井主。
心脹咽痛、鍼太衝必除、脾冷胃疼、瀉公孫而立愈。
胸満腹痛刺内関、脇疼肋痛鍼飛虎。
筋攣骨痛而補魂門、体熱労嗽而瀉魄戸。
頭風頭痛、刺申脉与金門、眼痒眼疼、瀉光明与地五。
瀉陰郄止盗汗、治小児骨蒸、刺偏歴利小便、医大人水蠱。
中風環跳而宜刺、虚損天枢而可取。
由是午前卯後、太陰生而疾温、離左酉南、月朔死而速冷。
循們弾努、留吸母而堅長、爪下伸提、疾呼子而嘘短。
動退空歇、迎奪右而瀉涼、推内進搓、随済左而補暖。
慎之!大患危疾、色脉不順而莫鍼、寒熱風陰、飢飽酔労而切忌。
望不補而晦不瀉、弦不奪而朔不済、精其心而窮其法、無灸艾而壊其皮、正其理而求其原、免投鍼而失其位。
避灸処而加四肢、四十有九、禁刺処而除六兪、二十有二。
抑又聞高皇抱疾未癃、李氏刺巨闕而後蘇、太子暴死為厥、越人鍼維会而復醒。
肩井、曲池、甄権刺臂痛而復射、懸鐘、環跳、華佗刺躄足而立行。
秋夫鍼腰兪而鬼免沈疴、玉纂鍼交兪而妖精立出。
取肝兪与命門、使瞽士視秋毫之末、刺少陽与交別、俾聾夫聴夏蚋之声。

嗟夫!去聖逾遠、此道漸墜。或不得意而散其穴、或愆其能而犯禁忌。
愚庸智浅、難契于玄言。至道淵深、得之者有幾?偶述斯言、不敢示諸明達者焉、庶幾乎童蒙之心啓。


 次回少しずつ翻訳に挑戦して行きたいと思う。