前回標幽賦を少し訳してみると書いたが、単純に何が書かれているのかだけを見るのであれば、どこまで訳す必要が有るのか少し疑問に感じている。実際に書かれている事を表面だけ見て行くのであれば別に訳す必要はないだろうし、内容に踏み込むと、どうしても竇漢卿以外の主観が混入して来てしまい、それは標幽賦を読んでいる事にならないのではないか?と思うのだ。
 それ故に、訳すというのではなくて私の主観も含めた私の標幽賦の読み込みの痕跡として残しておく方が、まだ本質に近いものとなるのではないかと考えた。そうなると、前回書いてみた歌賦としての標幽賦だけではやはり不足で、その内容を吟味しようとするとどうしても大成の注釈にも頼らざるを得ない。
 ということで、標幽賦を訳すというより、もっと柔軟な形で、そこに書かれている事を私なりに読み込んでみた結果という形式で分解していこうと思う。その為に、いくつかのセンテンスに分解して、それを更に詳細に分解するという細分化して行って行こうと思う。形式としては、原文、その読み下し、その内容の考察、大成においての記述という感じで進めてみたい。
 また、鍼灸大成に於ける楊継州の注釈部分は以前にも紹介させていただいた日本語訳が出版されており、実際自分のやっている読み下しやら何やらよりも高精度で詳細なものが完成しているので、是非、そちらを主体に見て行く事をお勧めしたい。
 さらに追記すると、この楊継州の注釈部分だが、鍼灸大全にも標幽賦は掲載され同様に注釈が加えられている。それは大成の注釈と比較すると類似してる部分が非常に多く、楊継州も鍼灸大全の注釈を意識してそれを発展させたり独自の見解をいれたりして形成したものだろうと推測できる。大全に関しては中国のサイトに全文が有るのを確認しているので興味の有る方は参考にされたい。
 http://www.zysj.com.cn/lilunshuji/zhenjiudaquan/index.html
 鍼灸大全における標幽賦と注釈
 http://www.zysj.com.cn/lilunshuji/zhenjiudaquan/838-5-1.html#m0-0
  
 

完訳 鍼灸大成  東洋医学古典

完訳 鍼灸大成 東洋医学古典

 
『標幽賦』竇黙(竇漢卿) 
 
拯救之法、妙用者鍼。
拯救の法として、妙用のものは針。
劫病之功,莫捷於針灸,故素問諸書,為之首載,緩和扁華,俱以此稱神醫。蓋一針中穴,病者應手而起,誠醫家之所先也。近世此科,幾於絕傳,良為可歎!經云:拘於鬼神者,不可與言至紱,惡於砭石者,不可與言至巧,此之謂也。又語云:一針二灸三服藥,則針灸為妙用可知,業醫者,奈之何不亟講乎
「人を救済する方法として針は非常にすぐれている」という事で、楊継州はその根拠として早速素問を上げ、それを筆頭に古典に登場する名医の名前を列記して行く。「緩和扁華」だが、これは医緩、和緩、扁鵲、華陀を意味しているらしい。注釈の内容に関しては前記の日本語訳の本を参照していただきたい。とはいえ、原文をざっと眺めるだけでも分かるように、この部分は楊継州の愚痴にも近いものが書き綴られているのが興味深い。更に、大成以前の鍼灸の本を呼んでもらえると気がつくが、これ以前の本では主に症状に対しての配穴が列記される形が主で、その配穴の根拠というものが特に記述される事は無かった。顕著なのは資生経あたりだが、この本の詳細などは別の機会に述べたい。話を戻すと、楊継州は歌賦に書かれている内容に対して根拠を求めようとしていて、それを古典の中に見いだそうとしているのが見て取れる。これは現代の中国などで行われている伝統医学と同じ形式のアプローチだ。つまり、楊継州は標幽賦を読み、それを実行するに当たり、標幽賦に書かれている内容の根拠は素問霊枢といった古典に展開された人体の機序に基づいていると考え、それを発展的に展開して解説しようと試みているわけだ。以後の解説にも、素問霊枢を引用しながら、標幽賦単体では分解されなかった機序の部分を補足している。
 だが、これ以後の標幽賦の分解を見て行くと感じる事だが竇漢卿が素問をたたき台にして標幽賦を作っているとは思えない部分も多い。
 
察歳時于天道、
歳時、天道を察して、
夫人身十二經,三百六十節,以應一歲十二月,三百六十日,歲時者,春暖夏熱,秋涼冬寒,此傷時之正氣,苟或春應暖而反寒,夏應熱而反涼,秋應涼而反熱,冬應寒而反暖,是故冬傷於寒,春必溫病,春傷於風,夏必餮泄,夏傷於暑,秋必痎瘧,秋傷於濕,上逆而欬。岐伯曰:凡刺之法,必候日月星辰,四時八正之氣,氣定乃刺焉。是故天溫日陽,則人血淖液而衛氣浮,故血易瀉,氣易行,天寒日陰,則人血凝沍而衛氣沉,月始生則氣血始清,衛氣始行,月廓滿則氣血實,肌肉堅,月廓空則肌肉減,經絡虛,衛氣去,形獨居,是以因天時而調血氣也。天寒無刺,天溫無灸,月生無瀉,月滿無補,月廓空無治,是謂得天時而調之,若月生而瀉,是謂藏虛。月滿而補,血氣洋溢,絡有流血,名曰重實,月廓空而治,是謂亂經,陰陽相錯,真邪不別,沉以留上,外虛內亂,淫邪乃起。又曰:天有五運,金水木火土也。 地有六氣,風寒暑濕燥熱也
「季節や気候を考慮して」という文に対して、一気に四季の移り変わりと人体の気血の様子が解説される。人体の十二経と十二ヶ月、三百六十の節(これを経穴とするか関節とするか悩むのだが、自分は単純に関節と考えてよいと思うが、これを緻密に考えるのは本題に逸れてしまうので止めておきたい。手元の辞書では普通に関節を意味するとあるが、この解釈に関して何かある人がおられたら連絡を乞う)と三百六十日という日数が対応してると述べている。この辺りは、この当時に流行していた子午流注の考えが大きく影響しているのだろう。季節に反する状態が病気の原因であると言う黄帝内経で展開された病因論が展開し、それを細くするように素問の引用がなされている。
 
定形気于予心。
形や気を心において
經云:凡用針者,必先度其形之瘦肥,以調其氣之虛實,實則瀉之,虛則補之,必先定其血脈,而後調之,形盛脈細,少氣不足以息者危,形瘦脈大,胸中多氣者死,形氣相得者生,不調者病,相失者死,是故色脈不順、而莫鍼。戒之戒之。
「治療を受ける相手の体型や、その気を十分に認識して」ということで、前の一説を病因の外因部分とみれば、こちらは内因の部分を見ておこうと言うことになる。人はそれぞれ痩せていたり肥えていたりして、その体内の気にも虚実があり、それを実っしていれば瀉し虚していれば補い〜とおなじみのフレーズが続くも、その直後に死にそうなパターンが列記され、その状態の人間に針を施しても手遅れで下手すると施術した自分が殺したとか言われるので絶対止めとけよと戒めになっていく。
 この当時の医療トラブルの一端が垣間見えて興味深い。