軽滑慢而未来、沈渋緊而已至
軽く滑りあなどると而して未だ来ず、沈み渋く緊張すると而してこれ至る
輕浮,滑虛,慢遲,入針之後,值此三者。 乃真氣之未到,沉重,濇滯,緊實,入針之後,值此三者,是正氣之已來   
刺鍼の後の針の状態より気血の状態を知る基準が書かれている。これは個人の少ない臨床経験からも感じる事だが、補瀉の基本として考えても良いのではないかと思っている。補瀉の加減を時間などで区切るのが今の主流ではあるが、やはり個人の差と言うものを考えると、一概に「補法5分で瀉法30分」などと決めてしまうマニュアル化は如何なものかと思う。だが、例えば、これらの時間に従うにしろ、打ったはりの状態を見て加減して行くという方法をとる事で、更に綿密な補瀉が可能になるのではないかと個人的には想像している。内容的には刺鍼した針が軽い感触で浮いていたり滑ったり、なんとなく充実していない状態では気血が至ったとは言えず、その逆の沈む感じや動きが渋る、重いといった感触が得られるとこれは気が至った状態と判断出来るという。打った針を時間を見て抜いて終了という臨床とは異なる針の手法は、今見ても新しい。
  
 
既至也、量寒熱而留疾、
既に至れば、寒熱を量りしかして留め疾し
留住也。 疾速也。 此言正氣既至,必審寒熱而施之。 故經云:刺熱須至寒者,必留針,陰氣隆至,乃呼之,去除其穴不閉,刺寒須至熱者,陽氣隆至,針氣必熱乃呼之去疾其穴急捫之,
留めるとは往なり、疾とは速さなりと言う事で、刺鍼した場所の寒熱を診て針を留めるか抜くかを判断しろという補瀉技術の続きとなる。つまり前節で触れた気血の充実と針の感覚だけでは不足であり、刺鍼した場所の寒熱もまた判断の根拠としろと言う訳だ。さらに黄帝内経にも同様の事が書かれていると続く。こちらの黄帝内経曰くの部分は特に何遍かという事ではなく、黄帝内経で言及された寒熱と補瀉の方法論の総論のような形になっている。詳細は黄帝内経を参考にされたい。またこの辺りの文章は楊継州のオリジナルというよりも大全からの引用を楊継州が膨らませて書いているようだ。参考までに抜粋すれば大全の注釈は以下のようになる。
留住也。疾速也。此言,正気既至、必審寒熱,而施之。故経云、刺熱,須至寒者、必留鍼、陰気隆至、乃呼之、去徐、其穴不捫。刺也,須至熱者、陽気隆至、鍼気必熱、乃吸之、去疾、一穴急捫。
 
 
未至也、据虚実而候気。
未だ至らざれば、虚実にしかして候気に据える
氣之未至,或進或退,或按或提,導之引之,候氣至穴而方行補瀉。 經曰:虛則推內進搓,以補其氣,實則循捫彈努,以引其氣。
刺鍼しても気が未だ至らない場合は、その虚実に応じて気の操作をしろという一文だ。この一文だけをみると、あまりにも放ったらかしで、操作方法の書かれていない不親切さを感じるかもしれないが、これも前までの状況と同じく、竇漢卿は標幽賦を読むものが黄帝内経を基礎知識として持っているものとして書いているので、ここもまた黄帝内経に戻り、その方法を推察するのが妥当だということだ。故に、楊継州も黄帝内経にその方法を求めている。内容としては、気が至らないのであれば(つまり、刺鍼した後の針の感触が軽く滑り充実していないのであれば)針を或は進め、或は退き、或は按じ或は提する、つまり積極的に針を動かす現代的な補瀉の手法をつかって気を導いて、そして補瀉を行えとしている。
 
 
気之至也、如魚呑鈎餌之沈浮、気未至也、如閑処幽堂之深邃。
気が至れば、魚が釣り針の餌を飲み込んだごとくの浮沈を感じ、気が未だ至らざれば、それは人気の無い幽堂の深邃のごとく。
氣既至,則針有濇緊,似魚吞鉤,或沉或浮而動,其氣不來,針自輕滑,如閑居靜室之中,寂然無所聞也。
刺鍼直後の気血の充実を針が軽く滑る、渋く重いという表現で判断したが、こちらは補瀉の操作後の気血の充実を抽象的に表現していると見て良さそうだ。文脈的にも、この前節で刺鍼後の補瀉の手技に触れていることからも、時系列的に補瀉の後の気血の充足と判断できよう。つまり、この感覚もまた、マニュアル化された補瀉とは異なる治療を考えるに大きな意味を持つものだと自分は考えている。基本的には感覚としては大きく異なる事は無く、気血が充実したのであれば、その刺鍼した針は魚が釣り針に掛かったような重い感触で浮沈し、まだ気血の充実を見ないのであれば、針はまるで人気の無い建物を奥に奥にと進むかのような空虚感が有るということだろう。実際、気虚の症状が激しい患者さんでは打った針がスカスカと動いて困惑する事が有る。これは多くの先生が感じているのではないだろうか。
 
 
気速至而速効、気遅至而不治。
気が速く至れば速く効き、気が遅く至れば治らず。
言下針若得氣來速,則病易痊,而效亦速也。 氣若來遲,則病難愈,而有不治之憂,故賦云:氣速效速,氣遲效遲,候之不至,必死無疑矣。
単純に読み下してしまえば上記のように気が早く至れば速く治るし、そうじゃなきゃ治りが悪いという意味で完結してしまうのだが、問題なのは楊継州の注釈にある「得気」というセンテンスだ。これもまた大全の注釈と比較してみる。以下に大全の注釈を抜粋する。
言,下鍼、若得気来速、則病易痊、而効亦速也。気若来遅、則病難愈、而有不治之憂。故賦云、気速効速、気遅効遅。候之不至、必死無疑矣
と言う事で大全にも得気という言葉が見られる。この時代には既に得気という観念が一般的(当然鍼灸臨床家の中でだろうけど)だったと見ても良いだろう。楊継州が大全に書かれた物を多くそのまま引用している傾向が有るのは確かだが、あまりにも突飛な事なら削除されたり書き換えられたりしてるので、大きく外れた認識ではないと個人的に考えているが、この辺りの判断は各個人に任せた方が妥当かもしれない。
 さて、そうなると、ここまでの標幽賦での刺鍼技術に関する記述は、大成の時代での解釈としては得気と補瀉に二分出来るように解釈が可能になるように思える。つまり、刺鍼直後の気の充足、刺鍼後針を操作した後の気の充足という二つのフェイズに分解すると、前半を得気として解釈する事が出来そうなのだ。そういう考えから再読すると、まず刺鍼の後に得気したか否かを針の軽さや滑りといった感覚で知り、針が渋く重く感じるまで刺鍼する。これによって得気が得られるわけだ。その後に補瀉を行うというもので有ったと解釈が出来そうだ。とはいえ、これもまた推測の上に推測を積み上げているにすぎず、一つの解釈でしかないことは明記しておく。だが、標幽賦において、経穴は気血の操作をする場所であり、気血の充実を見ない事には治療にはならないというスタンスをとっていることは間違いないと思う。

要識迎随、須明逆順。
迎随を知る事を求めれば、須く逆順を明らかにする事
迎隨者,要知榮衛之流注,經脈之往來也。 明其陰陽之經,逆順而取之,迎者,以針頭朝其源而逆之,隨者,以針頭從其流而順之,是故逆之者,為瀉為迎,順之者,為補為隨,若能知迎知隨,令氣必和,和氣之方。 必在陰陽升降上下,源流往來,順逆之道明矣。
ここまでの時点で大成の編者の楊継州は読者が黄帝内経を知っている事を前提として、これらの内容を解説していることに気がつかれると思う。黄帝内経による人体生理を土台とした人間観を治療として消化させるために様々な解釈やアプローチがなされるのが東洋医学の一つの形態なのだから、その前提は当然では有るだろう。竇漢卿もまた、その前提をもって標幽賦を書いている。ここでの迎随は黄帝内経によって言及された迎随以外の意味を持たせるのは無茶だ。だから、この迎随は経絡の走行であり、その経絡の走行を知る事が榮気、衛気の流注を知る事であると解説が続く。これは前節の経絡経穴を利用した治療根拠の部分の発展と見る事が出来るだろう。更に解説では迎随の補瀉の技法に触れている。これは現代でも使われる迎随の補瀉と同じで、経絡の流れに対しての針の向きによる補瀉で、その詳細は教科書でも参照していただきたい。面白いのは、気を和ませるという表現で、現代の気を補う、瀉すといった気の量を主観とした表現ではなく和ませると言うバランスを主観とした表現になっている事だ。つまり、楊継州は標幽賦の治療観念の最初に「気を和ます」というバランスを重視した治療観念を見いだしているようだ。これは実際の臨床に置いても非常に参考になる観念だと個人的には思っている。
 
 
況夫(聚英だと乎)陰陽、気血多少為最、厥陰太陽、少気多血、
太陰少陰、少血多気;而又気多血少者、少陽之分;気盛血多者、陽明之位。
陰陽は重要だが、況や気血の多少をや。厥陰太陽は小気多血で、
太陰少陰は、少血多気である。しかして気が多く血の少ないのは少陽の分で気が盛んで血も多いのは陽明の位。
此言三陰三陽。 氣血多少之不同,取之必記為最要也
前説までで気血と経絡の重要性を書いている訳で、その集大成部分として経絡と気血の関係が書かれている一文となっている。楊継州も最重要としているように、この観念は今でも臨床で多用されるのは周知だ。例を挙げるまでもなく、気虚の治療に足三里や合谷が使われるのは陽明が多気多血の経であるからだし、それ故に実証の症状が出やすく実則陽明などという言葉も有る訳だ。この部分はもはや臨床では常識となっているのではないだろうか?
 
 
先祥多少之宜、次察応至之気。
先に多少の宣を明らかにし、次に気の至るのを察する。
凡用針者,先明上文氣血之多少,次觀針氣之來應
読み下し部分がグダグダになっているが、要するに前説よりの流れのままで、先に気血の多少を判断したら次に気が至るのを察しなさいという事だろう。大成の解説でも、およそ針を用いるものは先に上文の気血の多少を明らかにして、次に針に気が至るのを観察しろと書いてあるわけで、この辺は察してもらえると助かる。もっとこういうのが得意な人がいらっしゃいましたら是非、訂正を入れて欲しい。内容的には針の治療部分に踏み込んでいるので、前説よりも更に臨床的な事が書かれている。これからどんどん臨床的な内容に踏み込んで行くのだが、それもまた標幽賦の特徴であり、標幽賦が鍼灸治療に置いて一つの指標足りうる根拠でもあろうと自分は考えている。
  

春夏痩而刺浅、秋冬肥而刺深。
春と夏と痩せているものには浅くさし、秋と冬と肥えているものには深くさす
經云:病有沉浮,刺有淺深,各至其理,無過其道,過之則內傷,不及則外壅,壅則賊邪從之,淺深不得,反為大賊,內傷五臟,後生大病。 故曰: 春病在毫毛腠理,夏病在皮膚,故春夏之人,陽氣輕浮,肌肉瘦薄,血氣未盛,宜刺之淺,秋病在肉脈,冬病在筋骨,秋冬則陽氣收藏,肌肉肥厚,血氣充滿,刺之宜深。 又云:春刺十二井,夏刺十二榮,季夏刺十二俞,秋刺十二經,冬刺十二合,以配木火土金水,理見子午流注 
「春と〜」と、こちらは読んだ通りの内容だ。とくに平文にする事も無いと思う。注釈では病気の体内での深度が語られ、その病気の位置に即した深度に針を打たないと駄目だと書かれている。冒頭の「経曰く」の部分から黄帝内経からの引用と分かり、場所としては刺要論になる。以下に転載する。
黄帝問曰、願聞刺要。岐伯対曰、病有浮沈、刺有浅深。各至其理、無過其道。過之則内傷。不及則生外壅。壅則邪従之。浅深不得、反為大賊、内動五蔵、後生大病。
故曰、病有在毫毛腠理者、有在皮膚者、有在肌肉者、有在脈者、有在筋者、有在骨者、有在髄者。是故刺毫毛腠理無傷皮。皮傷則内動肺、肺動則秋病温瘧、泝泝然寒慄。刺皮無傷肉。肉傷則内動脾、脾動則七十二日四季之月、病腹脹煩、不嗜食。刺肉無傷脈。脈傷則内動心、心動則夏病心痛。刺脈無傷筋。筋傷則内動肝、肝動則春病熱而筋弛。刺筋無傷骨。骨傷則内動腎、腎動則冬病脹腰痛。刺骨無傷髄。髄傷則銷鑠胻 酸、体解漁然不去矣。 
また、後半部分で季節と五兪穴の対応が書かれ、それが子午流注の方法として紹介されている。
 
不窮経絡陰陽、多逢刺禁、
経絡陰陽を究めざれば、刺禁に多く逢い
經有十二,手太陰肺,少陰心,厥陰,心包絡,太陽小腸,少腸,少陽三焦,陽明大腸,足太陰脾,少陰腎,厥陰肝,太陽膀胱少陽膽,陽明胃也。絡有十五,肺絡列缺,心絡通里,心包絡內關,小腸絡支正,三焦絡外關,大腸絡偏歷,脾絡公孫,腎絡大鍾,肝絡蠡溝,膀胱絡飛揚,膽絡光明,胃絡豐隆,陰蹻絡照海,陽蹻絡申脈,脾之大絡大包,督脈絡長強,任脈絡屏翳也。 陰陽者,天之陰陽,平旦至日中,天之陽,陽中之陽也。日中至黃昏,天之陽,陽中之陰也。 合夜至雞鳴,天之陰,陰中之陰也。 雞鳴至平旦,天之陰,陰中之陽也。故人亦應之,至於人身,外為陽,內為陰,背為陽,腹為陰,手足皆以赤白肉分之,五臟為陰,六腑為陽,春夏之病在陽,秋冬之病在陰,背固為陽,陽中之陽,心也。 陽中之陰肺也。 腹固為陰,陰中之陰腎也。 陰中之陽肝也。 陰中之至陰脾也。 此皆陰陽表裏,內外雌雄,相輸應也。是以應天之陰陽,學者苟不明此經絡陰陽升降,左右不同之理,如病在陽明,反攻厥陰,病在太陽,反攻太陰,遂致賊邪未除,本受氣蔽,則有勞無功,反犯禁刺
「経絡や陰陽といった基本事項を研究しなければ、刺鍼の禁忌に多く見舞われる」ということで基本が出来てないと医療トラブルを引き起こすという戒めが書かれている。楊継州はこれに対してまず十二経を列記し、つぎに十五絡脈を経穴の連絡も含めて列記している。この辺りは鍼灸学校でも習う事で此処では改めて書かない。後半は陰陽に関して書かれている。最後に間違えた治療を行うと医療事故に繋がると締めている。この部分は現代でも十分通用する心得だと思う。自分も常に心したいと思う。
 
既論臓腑虚実、須向経尋。
臓腑の虚実を論じ、須く経を尋ねる
欲知臟腑之虛實,必先診其脈之盛衰,既知脈之盛衰,又必辨其經脈之上下,臟者,心肝脾肺腎也。 腑者,膽胃大小腸三焦膀胱也。如脈之衰弱者,其氣多虛,為癢為麻也。 脈之盛大者,其血多實,為腫為痛也。 然臟腑居位乎內,而經絡播行乎外,虛則補其母也。 實則瀉其子也。若心病虛,則補肝木也。 實則瀉脾土也。 至於本經之中,而亦有子母焉,假如心之虛者,取本經少衝以補之,少衝者,井木也。 木能生火也。實取神門以瀉之,神門者,俞土也。 火能生土也。 諸經莫不皆然,要之不離乎五行相生之理,當細思之
「臓腑の虚実を考えてから、経絡脈を診て行く」とすれば、竇漢卿は病状に対してのカタログ的な配穴ではなく、むしろ臓腑弁証などに近い、メタ分析のような考え方をしたのだと解釈出来よう。だが、注釈を見ると臓腑の虚実を脈診で知る事が最初であるという方向で解説されている。鍼灸大全では「脏者,心、肝、脾、肺、肾也。腑者,胆、胃、大、小肠、三焦、膀胱也。虚者痒麻也,实则泻脾土。又且本经亦有子母,如心之虚,取少海穴以补之,实则取少府穴以泻之。诸经皆然,并不离乎五行相生之理矣。」 と単純に臓腑の分類と、難経的な補瀉の紹介にとどまっていることを考慮すると、楊継州はもう一歩踏み込んだ解釈をしたと言える。
 
 
原夫起自中焦、水初下漏、太陰為始、至厥陰而方終。穴出雲門、抵期門而最後。
此言人之氣脈,行於十二經為一周,計三百五十九穴,除任督之外,一日一夜,有百刻,分於十二時,每一時有八刻二分,每一刻計六十分,一時共計五百分,每日寅時,手太陰肺經,生自中焦中府,穴出於雲門起,至少商穴止。卯時手陽明太腸經,自商陽起,至迎香止,辰時足陽明胃經,自頭維至窅兌。已時足太陰脾經,自隱白至大包,午時手少陰心經,自極泉至少沖。未時手太陽小腸經,自少澤至聽宮,申時足太陽膀胱經,自睛明至至陰。酉時足少陰腎經,自湧泉至俞府,戌時手厥陰心包絡經,自天池至中沖。亥時手少陽三焦經,自關沖至耳門,子時足少陽膽經,自童子壷至竅陰。丑時足厥陰肝經,自大敦至期門而終,週而復始,與滴漏無差也
ここの部分の読み下しは正直自分の手に余るので、書かない事にした。「中焦から起こり、水が滴り始めるときに、太陰は始まり、それは厥陰において終わる。雲門穴からでて期門穴が最後となる」という意味となるので、気血の運行に関してだと言う事はすぐに理解出来ると思う。ちょっと、これを読み下すには自分には難し過ぎる。注釈では気血の運行が時間によってどの経絡をどの穴を経由して進むのかが書かれている。素問の五運行大論篇などを参考に読み比べると面白い。この文中にある水初下漏という部分だが、水時計の事だと前記の本に有った。こういう部分は辞書などでは追いきれないので和訳の本が存在しているということに非常に助けられる。ネット上にあるデータだけではどうにもならないことも多いので、この時代の古典を研究するという目的以外でも大成の和訳の本は手元においておく事を薦めたいと思っている。
補足を入れた:http://d.hatena.ne.jp/kyougetu/20090118
 
  
正経十二、別絡走三百余支、
正経は12あり、300あまりの別絡に走り、
即手足三陰三陽之正經也。 別絡者,除十五絡,又有膻絡孫絡,不知其紀,散走於三百餘支脈也。
十二正経と絡脈に関して言及している部分だ。ここは文章自体は短いのだがいわゆる絡脈に関しての見解が明記されているのが興味深い。黄帝内経の時代の絡脈がすなわち血管を含む血の走行を意味する事が多く、それゆえに急病入絡という言葉の意味を長期の病気は血分に深く入るという意味をなすのだが、大成では絡脈を十二正経を連絡するほうの絡脈としてとらえている。もっともこの場合の絡脈の観念が大成すべてに置ける観念ではないことは言うまでも無いので、拡大解釈をしすぎる戒めとしておきたい。
 
 
正側仰伏、気血有六百余候。
正面側面仰向けうつ伏せと体の全方位、気血は600あまり有る。
此言經絡,或正或側,或仰或伏,而氣血循行孔穴,一周於身,榮行脈中,三百餘候,衛行脈外,三百餘候。
気血が有るという抽象的な表現を経穴に関連させている一文だ。黄帝内経からの引用を利用し、気血は経絡のルートを栄脈内を巡行しそれは経穴より衛へ脈外に行き、それが三百あまりの経穴によって行われると大成では解説される。これは経絡経穴を利用した治療根拠であり、つまりは経穴鍼灸を施すことが、体内の気血の運行を左右するという宣言に他ならない。と、大きく出てみたが、この辺りは学生さんでも自明の理だろう。
 
 
手足三陽、手走頭而頭走足、手足三陰、足走腹而胸走手。
手足の三陽は 手から走り頭へ頭から足へ走り 手足の三陰は、足から腹へはしり胸から手へ走る。
此言經絡陰升陽降,氣血出入之機,男女無以異。
手足の三陰三陽の走行に関してである。この辺りも経穴の教科書からの範囲から逸脱は無い。大成では男女の差はないと解説されるが、この時代にジェンダーを意識した医療体系を取ろうとしている事には着目すべきだと思う。実際問題として、性差医療を念頭に置いた鍼灸治療の実践がどこまでなされているのか、私自身相当に疑問に思っている。それを踏まえてずとも、医療に性差の観念が導入されている痕跡を見つけるのは興味深いと考える。
 

謹賀新年

おそらくは日本に20人居ない、ここに用のある皆様
新年あけましておめでとうございます
おそらくは日本人以上の人数いらっしゃる、ここに用のあるアジアの皆様
新年の挨拶は旧暦の正月にさせていただきます。

 前回標幽賦を少し訳してみると書いたが、単純に何が書かれているのかだけを見るのであれば、どこまで訳す必要が有るのか少し疑問に感じている。実際に書かれている事を表面だけ見て行くのであれば別に訳す必要はないだろうし、内容に踏み込むと、どうしても竇漢卿以外の主観が混入して来てしまい、それは標幽賦を読んでいる事にならないのではないか?と思うのだ。
 それ故に、訳すというのではなくて私の主観も含めた私の標幽賦の読み込みの痕跡として残しておく方が、まだ本質に近いものとなるのではないかと考えた。そうなると、前回書いてみた歌賦としての標幽賦だけではやはり不足で、その内容を吟味しようとするとどうしても大成の注釈にも頼らざるを得ない。
 ということで、標幽賦を訳すというより、もっと柔軟な形で、そこに書かれている事を私なりに読み込んでみた結果という形式で分解していこうと思う。その為に、いくつかのセンテンスに分解して、それを更に詳細に分解するという細分化して行って行こうと思う。形式としては、原文、その読み下し、その内容の考察、大成においての記述という感じで進めてみたい。
 また、鍼灸大成に於ける楊継州の注釈部分は以前にも紹介させていただいた日本語訳が出版されており、実際自分のやっている読み下しやら何やらよりも高精度で詳細なものが完成しているので、是非、そちらを主体に見て行く事をお勧めしたい。
 さらに追記すると、この楊継州の注釈部分だが、鍼灸大全にも標幽賦は掲載され同様に注釈が加えられている。それは大成の注釈と比較すると類似してる部分が非常に多く、楊継州も鍼灸大全の注釈を意識してそれを発展させたり独自の見解をいれたりして形成したものだろうと推測できる。大全に関しては中国のサイトに全文が有るのを確認しているので興味の有る方は参考にされたい。
 http://www.zysj.com.cn/lilunshuji/zhenjiudaquan/index.html
 鍼灸大全における標幽賦と注釈
 http://www.zysj.com.cn/lilunshuji/zhenjiudaquan/838-5-1.html#m0-0
  
 

完訳 鍼灸大成  東洋医学古典

完訳 鍼灸大成 東洋医学古典

 
『標幽賦』竇黙(竇漢卿) 
 
拯救之法、妙用者鍼。
拯救の法として、妙用のものは針。
劫病之功,莫捷於針灸,故素問諸書,為之首載,緩和扁華,俱以此稱神醫。蓋一針中穴,病者應手而起,誠醫家之所先也。近世此科,幾於絕傳,良為可歎!經云:拘於鬼神者,不可與言至紱,惡於砭石者,不可與言至巧,此之謂也。又語云:一針二灸三服藥,則針灸為妙用可知,業醫者,奈之何不亟講乎
「人を救済する方法として針は非常にすぐれている」という事で、楊継州はその根拠として早速素問を上げ、それを筆頭に古典に登場する名医の名前を列記して行く。「緩和扁華」だが、これは医緩、和緩、扁鵲、華陀を意味しているらしい。注釈の内容に関しては前記の日本語訳の本を参照していただきたい。とはいえ、原文をざっと眺めるだけでも分かるように、この部分は楊継州の愚痴にも近いものが書き綴られているのが興味深い。更に、大成以前の鍼灸の本を呼んでもらえると気がつくが、これ以前の本では主に症状に対しての配穴が列記される形が主で、その配穴の根拠というものが特に記述される事は無かった。顕著なのは資生経あたりだが、この本の詳細などは別の機会に述べたい。話を戻すと、楊継州は歌賦に書かれている内容に対して根拠を求めようとしていて、それを古典の中に見いだそうとしているのが見て取れる。これは現代の中国などで行われている伝統医学と同じ形式のアプローチだ。つまり、楊継州は標幽賦を読み、それを実行するに当たり、標幽賦に書かれている内容の根拠は素問霊枢といった古典に展開された人体の機序に基づいていると考え、それを発展的に展開して解説しようと試みているわけだ。以後の解説にも、素問霊枢を引用しながら、標幽賦単体では分解されなかった機序の部分を補足している。
 だが、これ以後の標幽賦の分解を見て行くと感じる事だが竇漢卿が素問をたたき台にして標幽賦を作っているとは思えない部分も多い。
 
察歳時于天道、
歳時、天道を察して、
夫人身十二經,三百六十節,以應一歲十二月,三百六十日,歲時者,春暖夏熱,秋涼冬寒,此傷時之正氣,苟或春應暖而反寒,夏應熱而反涼,秋應涼而反熱,冬應寒而反暖,是故冬傷於寒,春必溫病,春傷於風,夏必餮泄,夏傷於暑,秋必痎瘧,秋傷於濕,上逆而欬。岐伯曰:凡刺之法,必候日月星辰,四時八正之氣,氣定乃刺焉。是故天溫日陽,則人血淖液而衛氣浮,故血易瀉,氣易行,天寒日陰,則人血凝沍而衛氣沉,月始生則氣血始清,衛氣始行,月廓滿則氣血實,肌肉堅,月廓空則肌肉減,經絡虛,衛氣去,形獨居,是以因天時而調血氣也。天寒無刺,天溫無灸,月生無瀉,月滿無補,月廓空無治,是謂得天時而調之,若月生而瀉,是謂藏虛。月滿而補,血氣洋溢,絡有流血,名曰重實,月廓空而治,是謂亂經,陰陽相錯,真邪不別,沉以留上,外虛內亂,淫邪乃起。又曰:天有五運,金水木火土也。 地有六氣,風寒暑濕燥熱也
「季節や気候を考慮して」という文に対して、一気に四季の移り変わりと人体の気血の様子が解説される。人体の十二経と十二ヶ月、三百六十の節(これを経穴とするか関節とするか悩むのだが、自分は単純に関節と考えてよいと思うが、これを緻密に考えるのは本題に逸れてしまうので止めておきたい。手元の辞書では普通に関節を意味するとあるが、この解釈に関して何かある人がおられたら連絡を乞う)と三百六十日という日数が対応してると述べている。この辺りは、この当時に流行していた子午流注の考えが大きく影響しているのだろう。季節に反する状態が病気の原因であると言う黄帝内経で展開された病因論が展開し、それを細くするように素問の引用がなされている。
 
定形気于予心。
形や気を心において
經云:凡用針者,必先度其形之瘦肥,以調其氣之虛實,實則瀉之,虛則補之,必先定其血脈,而後調之,形盛脈細,少氣不足以息者危,形瘦脈大,胸中多氣者死,形氣相得者生,不調者病,相失者死,是故色脈不順、而莫鍼。戒之戒之。
「治療を受ける相手の体型や、その気を十分に認識して」ということで、前の一説を病因の外因部分とみれば、こちらは内因の部分を見ておこうと言うことになる。人はそれぞれ痩せていたり肥えていたりして、その体内の気にも虚実があり、それを実っしていれば瀉し虚していれば補い〜とおなじみのフレーズが続くも、その直後に死にそうなパターンが列記され、その状態の人間に針を施しても手遅れで下手すると施術した自分が殺したとか言われるので絶対止めとけよと戒めになっていく。
 この当時の医療トラブルの一端が垣間見えて興味深い。
 

kyougetu2008-12-20

大成において補瀉に関して集中的に書かれているのは四巻(本によっては五巻)の後半である。内経補、難経補瀉、と続く一連の部分だ。黄帝内経の世代から大成の書かれた時代までの補瀉の総纏め的な部分で、鍼灸治療における補瀉の観念がどのようにシフトしたのかが良くわかり非常に勉強になる部分だと思う。
 この部分に関してはもちろんだが、やはり針の操作という部分を分解して見て行こうとすると、標幽賦の読み込みから始めた方が良いのではないか?と考える。標幽賦(ひょうゆうふ)は、この時代の鍼灸の手技を語るときに頻繁に引き合いに出される歌賦として、良く知られているのではないだろうか? その割に見かける事の少ない歌賦なので、私も結局、学生時代に中国で鍼灸大成を手に入れるまで何が書かれているのか知らなかった。某大家の先生の本の紹介文などには一つの到達点として書かれていたりするのだが。
 以下に個人的に調べた標幽賦に関してのいくつかを書こうと思う。
 まず、作者だが竇漢卿(とうかんきょう)と書かれているが、こちらは字名であり本名を竇黙と言ったようだ。簡単に書くと金元代の人で元のモンゴル帝国フビライ・カンの高級官僚である。人となりに関してはこちらのサイトさんを参考にされたい。
 http://1st.geocities.jp/kadajyuku/meiigaiden.html
 古典に出て来る医師が沢山掲載されていて読み物としても非常に面白いのでお勧めしたい。私も孫思邈に関しての部分など非常に参考にさせていただいている。
 本国の中国での紹介も転記しておく。
 竇漢卿 (1196-1280) 金元时代针炙学家。名杰,后改名默,字子声。广平肥乡(今河北省邯郸专区肥乡县)人
 また、竇漢卿の史跡を辿った方がいらっしゃるようで、その方が旅行記を発表されているの参考までにリンクさせていただきたい。
 http://homepage2.nifty.com/kadado/Bianquemiao.html 
 更に、ついでと言っては何だが中国の医学博物館の関係サイトに肖像画を見つけて保存しておいた物が有るのでこちらは掲載しておく。
 さて、この竇漢卿という人だが傑出した人物であったというのは当然として、この人の治療に関して調べてみると、この人の配穴の特徴に八脈交会穴を非常に上手に使ったらしく、後の世で八脈交会穴を竇氏八穴と呼んだという記述が見られる。
 http://www.med66.com/html/2008/10/li4212151132018002742.html
 八脉交会穴又称“窦氏八穴”
*補足を入れたhttp://d.hatena.ne.jp/kyougetu/20090221
 標幽賦だが、初出は針経指南という本であるという。『針経指南』一巻。元・竇傑(漢卿)撰。竇桂芳の『針灸四書』序によれば、元・元貞元年(一二九五)前の成立。という事で竇漢卿の編纂した本であるという。これも他の本と同様に元の崩壊と同時に散逸し、日本に渡来したものが現存していて、それを元に現在流通しているものが編纂されたという記述が有る。
 http://www.hum.ibaraki.ac.jp/mayanagi/paper01/jpkoisho.html
 この標幽賦という歌賦は聚英と大成に掲載されているのが有名だ。他にも針方六集などに収録されているようだが、こちらは原本を持っていないので確認は出来ない。が、針方六集を検索すると標幽賦が掲載されているとあるので間違いないだろう。聚英の標幽賦と大成のそれの違いは、大成の方には編者の楊継州による注釈が加えられている。
 今回は注釈無しの標幽賦、聚英に納められている標幽賦を参考に書いてみる。元の時代に鍼灸治療はどのように発展していたのかを単純に読み取れるのではないか?という判断だが、実際、楊継州による注釈の部分は難解な物も多いため、自分の力に余るという実情もある。

『標幽賦』竇黙(竇漢卿) 

拯救之法、妙用者鍼。
察歳時于天道、定形気于予心。
春夏痩而刺浅、秋冬肥而刺深。
不窮経絡陰陽、多逢刺禁、既論臓腑虚実、須向経尋。
原夫起自中焦、水初下漏、太陰為始、至厥陰而方終。穴出雲門、抵期門而最後。
正経十二、別絡走三百余支、正側仰伏、気血有六百余候。
手足三陽、手走頭而頭走足、手足三陰、足走腹而胸走手。

要識迎随、須明逆順。
況夫(聚英だと乎)陰陽、気血多少為最、厥陰太陽、少気多血、太陰少陰
少血多気;而又気多血少者、少陽之分;気盛血多者、陽明之位。
先祥多少之宜、次察応至之気。
軽滑慢而未来、沈渋緊而已至
既至也、量寒熱而留疾、未至也、据虚実而候気。
気之至也、如魚呑鈎餌之沈浮、気未至也、如閑処幽堂之深邃。
気速至而速効、気遅至而不治。

観夫九鍼之法、毫鍼最微、七星上応、叢穴主持。
本形金也、有蠲邪扶正之道、短長水也、有決凝開滞之機。
定刺象木、或斜或正、口蔵比火、進陽補羸。
循機捫而可塞以象土、実応五行而可知。
然是一寸六分、包含妙理、雖細腊于毫髪、同貫多岐。
可平五臓之寒熱、能調六腑之虚実。
拘攣閉塞、遣八邪而去矣、寒熱痺痛、開四関而已之。
凡刺者、使本神朝而後入、既刺也、使本神定而気随、神不朝而勿刺、神已定而可施。
定脚処、取気血為主意、下手処、認水木是根基。
天地人三才也、湧泉同璇璣、百会、上中下三部也、大包与天枢、地機。
陽蹻、陽維併督帯、主肩背腰腿在表之病
陰蹻、陰維、任衝脉、去心腹脇肋在裏之疑(疑者、疾也 と大成では付記されている)。
二陵、二蹻、二交、似続而交五大、両間、両商、両井、相依而別両支。 
大抵取穴之法、必明分寸、先察自意、次観肉分、或伸屈而得之、或平直而安定。
(聚英、大成においては上記の一分の文頭が「足見取穴之法」となっている)
在陽部筋骨之側、陥下為真、在陰分郄膕之間、動脉相応。
取五穴用一穴而必端、取三経用一経而可正。
頭部与肩部詳分、督脉与任脉易(一作易:聚英にて付記)定。

明標与本、論刺深刺浅之経、住痛移疼、取相交相貫之経。
豈不聞臓腑病而求門、海、兪、募之微;
経絡滞、而求原、別、交、会之道。
更窮四根三結、依標本而刺無不痊、但用八法五門、分主客而鍼無不効。
八脉始終連八会、本是紀綱、十二経絡十二原、是為枢要。
一日取六十六穴之法、法(方:聚英)見幽微、一時取一十二経之原、始知要妙。

原夫補瀉之法、非呼吸而在手指、速効之功、要交正而識本経。
交経謬刺、左有病而右畔取、瀉絡遠鍼、頭有病而脚上鍼。
巨刺与謬刺各異、微鍼与妙刺相通。
観部分而知経絡之虚実、視沈浮而辨臓腑之寒温。
且夫先令鍼耀而慮鍼損、次蔵口内、而欲鍼温。
目無外視、手如握虎、心無内慕、如待貴人。
左手重而多按、欲令気散、右手軽而徐入、不痛之因。
空心恐怯、直立側而多暈、背目沈掐、坐臥平而没昏。
推于十干、十変、知孔穴之開闔、論其五行、五臓、察日時之旺衰。
伏如横弩、応若発機

陰交陽別而定血暈、陰蹻、陽維而下胎衣。
痺厥偏枯、迎随俾経絡接続、漏崩帯下、温補使気血依帰。
静以久留、停鍼待之。
必准者、取照海治喉中之閉塞、端的処、用太衝治心内之呆痴。
大抵疼痛実瀉、痒麻虚補。
体重節痛而兪居、心下痞満而井主。
心脹咽痛、鍼太衝必除、脾冷胃疼、瀉公孫而立愈。
胸満腹痛刺内関、脇疼肋痛鍼飛虎。
筋攣骨痛而補魂門、体熱労嗽而瀉魄戸。
頭風頭痛、刺申脉与金門、眼痒眼疼、瀉光明与地五。
瀉陰郄止盗汗、治小児骨蒸、刺偏歴利小便、医大人水蠱。
中風環跳而宜刺、虚損天枢而可取。
由是午前卯後、太陰生而疾温、離左酉南、月朔死而速冷。
循們弾努、留吸母而堅長、爪下伸提、疾呼子而嘘短。
動退空歇、迎奪右而瀉涼、推内進搓、随済左而補暖。
慎之!大患危疾、色脉不順而莫鍼、寒熱風陰、飢飽酔労而切忌。
望不補而晦不瀉、弦不奪而朔不済、精其心而窮其法、無灸艾而壊其皮、正其理而求其原、免投鍼而失其位。
避灸処而加四肢、四十有九、禁刺処而除六兪、二十有二。
抑又聞高皇抱疾未癃、李氏刺巨闕而後蘇、太子暴死為厥、越人鍼維会而復醒。
肩井、曲池、甄権刺臂痛而復射、懸鐘、環跳、華佗刺躄足而立行。
秋夫鍼腰兪而鬼免沈疴、玉纂鍼交兪而妖精立出。
取肝兪与命門、使瞽士視秋毫之末、刺少陽与交別、俾聾夫聴夏蚋之声。

嗟夫!去聖逾遠、此道漸墜。或不得意而散其穴、或愆其能而犯禁忌。
愚庸智浅、難契于玄言。至道淵深、得之者有幾?偶述斯言、不敢示諸明達者焉、庶幾乎童蒙之心啓。


 次回少しずつ翻訳に挑戦して行きたいと思う。