kyougetu2008-12-14

 マクロに見て行くと書いておきながら想像以上にミクロな部分に突入してしまった前回だが、細かい部分に気になる場所が有ると調べて行かないと気が済まない性格なので大目に見ていただきたい。あと、手元に丁度辞書が有って、前々から気になっていた事を調べたりしてた流れのままに書いてしまったという一連も有った。
 前回から日も開いた事も有るので、今回は少し大まかな、本当の意味でのマクロな部分で大成を見てみたい。
 これでも聞きながらザックリ見てもらえると良いかもしれない。
 http://www.algerie.fm/

 アルジェリアのFMラジオ放送に関する話はさておき。
 黄帝内経を根幹とした東洋医学の一つの大きな潮流としての鍼灸だが、その年代を下るに従って大きく変化して行くもの、全く変化しないものが有り興味深い。とくに補瀉の手法が大きく変化して行くのは古典を眺める(あくまで「眺める」であって「研究」も「読み込み」もしていないという部分に留意してもらいたい)者としては、それを追いかけるだけでも楽しい。
 素問の頃の補瀉は至ってシンプルで、正直言って鍼灸学校で教わるものよりも単純な部分が有る。鍼灸学校での補瀉の多くの部分が、後の難経をベースにしているから当然と言えば当然だろうが。上げてみると、まず呼吸の補瀉、次に迎随の補瀉、提按開闔の補瀉、弾爪の補瀉、出内の補瀉という、まあ5つに集約する。この補瀉の手技に後世提挿(揚挿とはちょっと違うので注意)捻転の補瀉が加わり、むしろそちらの方が主体となって行くという流れが有る。究極的な補瀉の手法として焼山火と透天涼がある訳だが、実際問題として焼山火と透天涼を臨床で使いこなすのは困難極まるものがある。
 話を戻すと、素問の頃の補瀉と、提挿捻転主体の補瀉では技術の巧拙というよりも使っていた針の種類が異なるという部分が大きいと自分は思っている。つまり、豪針が針の中心として使われている近現代の鍼灸と、古代九針が中心の古代の鍼灸で補瀉の手法が異なるのは当然だろうと自分は考える訳だが、あまり共感は得られてない。
 素問の治療法の部分を見て行くと、その多くが実は刺絡に依存している事に気がつく。これは当時の三稜針が特別すぐれていたという訳では有るまい。要するに、当時の針が太く、今の豪針のように深くさす事が困難で、深くさすと逆に病状を悪化させる要因になりかねないという背景が有ったと想像する方が自然ではないか?と思うのだ。そうなると、補う部分を飲み薬でフォローしていけば、鍼灸の出番は主に瀉法となり、その最たるものとして刺絡が使われていたのではないか?と自分は感じている。
 1968 年に河北省満城の劉勝墓から出土した西漢の金鍼の画像が手元に有るので掲載しておく。
 この太さの針で補法を行うことの困難さを想像してもらいたい。
 また、この太さの針を打ち込む手技を想定すると、開闔補瀉の有効性は大きかったで有ろうと思う。同時に、この太さの針だからこそ、針を暖めた時の効果も大きかったのではないかと思う。また、この太さの針を打ち込んだ後に、それを提挿したり捻転したりした場合の打たれた方の体の負担を考えると、揚挿捻転の手技が後世に発展した理由となりうると自分は考える。
 大成では既に提挿捻転補瀉が扱われている。この時代になると揚挿捻転が必要とされる状況、つまり針を作る技術の向上による豪針の細さ、鋭さが現代のそれに近いもので有ったのでは?と推測することは、そうそう外れた事では有るまい。
 次は大成での補瀉をすこし突っ込んでみてみたい。
 
 

kyougetu2008-12-02

 先日、色々と思うところあって神田に出かけて辞典を購入してきた。今まで使っていたのは普通の日中辞典だったのだが、最近古典を原文のままに読む事が増えたために普通の辞典ではおいきれない部分が出てきてしまったのだ。今まではネットで調べてフォローしていたのだが、そうなるとネットの起動が必須となってしまうし、何よりネットのみの情報では信頼性に欠如する。それ故に専門書が必須となっていた。
 今までも辞典は使ってきた。
 

中医基本用語辞典

中医基本用語辞典

 だが、これは日本語の東洋医学中国医学)を読むときを前提に作られているので、方向性が異なる。使えない訳ではないのだが、もう少し込み入った部分の微妙なニュアンスを知りたいときには使いにくい。そこで、色々調べてみたところ、中医字典というものがあると知り神田の専門書店に出かけた。
 http://www.frelax.com/cgilocal/getitem.cgi?db=book&ty=id&id=SYZY048926
 購入したのはこちらだ。編纂されたのが2001年で少し古い印象も有るが手頃な値段だったし大きさも丁度良いので購入に踏み切った。非常に気に入っている。内容は漢字辞典のようになっており、古典で使われている漢字をひいていくと、その意味やニュアンスが解説されているという案配。例文として古典が引用されているので普通に読むだけでも十文以上に勉強になる。実際、普通に読む機会の方が多いぐらいだ。実際に「針」という単語を引いてみたのを写真に撮ってみたので掲載しておく。
 こちらの字典は2006年度版が通販で購入できるらしいので興味ある人は探してみるといい。
 
 さて、十三鬼穴という言葉を鍵に複数の古典を見て行くことで、鍼灸大成という本を一つの頂点とした比較的後期の古典の内容とそこまでの変遷というのを自分なりに纏めて行く作業も一つの区切りとなってきた。コレからはもう少しマクロな部分を見て行きたいと思う。
 以前記載した部分で個人的に表現が気になっている部分が有り、今日はそこを考察したい。
 http://d.hatena.ne.jp/kyougetu/20081110/1226303431
「この歌賦には症状に対する配穴が書かれている。その中で人中治痲勁最高,十三鬼穴不須饒と書かれていて人中が鬱病の症状に効果があり、治療に十三鬼穴を外す事は出来ないと書いている。」
 この一文に鬱病の症状にと書いたのだが、これは軽率であったように思う。他の日本語訳されたものを参考に書いたのだが改めて痲勁という言葉を調べてみると麻勁という表現の古い漢字であり、これは麻が痺れを伴う運動障害の麻痺であり、勁が強直の意味を持つ事から、どちらかというと脳溢血などを原因とする運動障害を考えた方が良いのではないかと今は思っている。痲という漢字単体では感染症を意味するし、麻も麻疹の病態を意味する事も有るようだが、コレはまた別の解釈だろうと思う。前後の文脈と合致しないからだ。
 さらに、鬱結という言葉からも類推できるように郁という言葉には「何かが大量に集まる」ニュアンスがあり、草木の茂る様子を意味する。それに伴って「集まった何かによる症状」として病状の郁があるので、厳密に現状の医学における鬱と東洋医学が表記する鬱は異なることも重要だと考えている。前者はむしろ虚証の症状を見せる事が多いように感じられる。疲労感や活動時に症状が悪化するといった部分は気虚と考えた方が自然であろうし。
 
 

手厥阴心包络经 配肾.(相火)起天池.终中冲.多血少气.戌时注此.
是动病 手心热.臂肘挛痛.腋肿.甚则胸胁肢满.心中澹澹大动.面赤目黄.喜笑不休.是主心包络.
所生病 烦心心痛.掌中热.盛者.寸口大三倍于人迎.虚者.寸口反小于人迎.
补 用亥时 中冲(穴在手中指端.去爪甲如韭叶.为井.木.木生火.为母.虚则补其母.滑氏曰.井者.肌肉浅薄.不足为使也.补井者.当补合.)
泻 用戌时 大陵(穴在掌后两筋间陷中.为俞.土.火生土.为子.实则泻其子.)
 これは前回抜粋した聚英の第二巻の十二経病井榮兪経合補虚瀉実の篇だが、鍼灸大成にも十二経病井榮兪経合補虚瀉実の変は存在する。以下はその抜粋である。参考にしている大成の原典が異なるらしく、手持ちの大成によって収録されている巻が異なり、今回は台湾のほうの第七巻に寄った。他にも第五巻に収録されている大成も存在している。(つぶさに比較すると、この二冊は書かれている内容も多少異なるので注意されたし)
手厥陰心包絡經, 配腎(屬相火)起天池, 終中沖, 多血少氣, 戌時注此。
是動病。 手心熱, 肘臂攣痛, 腋下腫, 甚則胸恢支滿, 心中澹澹, 或大動,
面赤目黃, 善笑不休, 是主心包絡。
所生病。 煩心心痛, 掌中熱。 盛者, 寸口大三倍於人迎。 虛者,
寸口反小於人迎也。
補 用亥時。 中沖 為井木, 木生火, 虛則補其母。
瀉 用戌時。 大陵 為俞土, 火生土, 實則瀉其子。
 こちらには子午流注の方を重要視したらしく、淡々と配穴が書かれているだけである。とくに後半の補瀉に関する部分が顕著だ。聚英には解釈が付け加えられているのだが、大成では割愛されている。成立年代的にも、また他の遍において明記されている事からも大成は聚英を大いに参照して編纂されているのだが、こういう小さい部分での誤差というものは興味深い。
 時代的に大成が編纂された頃、鍼灸の治療は複雑さを極め、とくに刺鍼する時間を厳密に規定する子午流注の方法が大いに用いられたらしいので、難経的な解釈は不要と判断されたのかもしれない。とはいえ、大成を編纂した楊継州による注釈のなかには子午流注の方法に対して懐疑的な一文が見られる事から、大成の成立した当時、すでに子午流注に対して批判的見解は存在していたと見て良さそうだ。
 その部分を抜粋してみる。場所は第二巻の金鍼賦の注釈部分である。前の部分から見てもらいたい。

觀夫針道,捷法最奇,須要明夫補瀉,方可起於傾危,先分病之上下,次定穴之高低。
頭有病而足取之,左有病而右取之,男子之氣,早在上而晚在下,取之必明其理; 女子之氣,
早在下而晚在上,用之必識此時,午前為早屬陽,午後為晚屬陰。
男女上下,憑腰分之,手足三陽,手走頭而頭走足,手足三陰,足走腹而胸走手,陰升陽降,
出入之機,逆之者為瀉為迎,順之者為補為隨。
春夏刺淺者以瘦,秋冬刺深者以肥,更觀元氣厚薄,淺深之刺猶宜。

 ここまでが歌賦の部分だ。

經曰:榮氣行於脈中,周身五十度,無分晝夜,至平旦與衛氣會於手太陰。
衛氣行於脈外,晝行陽二十五度,夜行陰二十五度,平旦與榮氣會於手太陰。
是則衛氣之行,但分晝夜,未聞分上下,男女臟腑經絡,氣血往來,未嘗不同也。
今分早晚,何所據依?但此賦今人所尚,故錄此以參其見。

 歌賦と注釈自体はこの後も続くが抜粋はここまでとしよう。 
 注釈では黄帝内経の霊枢を引き合いに出して気の運行を記した後に金鍼賦の気の運行の記載に対して「それはどこで提唱されたものなのか?」と疑問を呈している。霊枢では昼と夜に衛気運行は異なるとされるが、それだけだ。しかし、金鍼賦では男女、上下、臓腑経絡に置いても気血の運行に差があるとあり、そこを疑問視している。
 そして辛辣にも「人気があるから掲載したけど」と切り捨てている。
 子午流注の方法論が「人体を気血が移動するのは時間が決まっていて、それに合わせて配穴し補瀉することで効果を出す」事であり、その根幹部分の気血の運行に対して疑問を呈しているわけで、ここから伺える鍼灸大成のスタンスというのは脳裏においておく必要が有ると自分は考えている。
 誤解してほしくないのはコレを書いている自分は別に子午流注に対して否定的な見解は持っていない。自分は患者さんが症状を緩和させ出来れば治癒してくれさえすれば別に方法論なんて何でも良いというスタンスだ。故に特定の方法に対してバッシングを行おうとか、そういう意図は無い。治れば何でも良いんだ。
 子午流注の配穴だが、自動計算してくれる場所が有るので参考にされたい。
 http://kobe-haricure.net/tubo/reiki.htm
 中々に複雑で、利用するのに骨が折れそうだが一つだけ経穴を追加してみようとか、そういう時に参考にするのも興味深いかもしれない。何にせよ、利用される経穴は五兪穴なので効果の方は折り紙付きではある。
 子午流注に関しての詳細は大成の第五巻に詳しい。
 
 

 時間が空いたが補井当補合に関連する部分の原則と展開を。
 まず最初に観念として出てきたのが難経であるらしい。難経に関しては専門のサイトが数多有るのでそちらの方を参考にしていただきたい。基本的に81の短編によって構成されているので読む事自体は短時間で済む筈だ。ただ、難経自体に詳細な解説がついていない事が原因して、様々な解釈が後世に出たため内容を推し量る事は極めて困難と言えよう。それゆえに「どの解釈が正しい」といった視点で難経を語る事自体に意味をなさないと自分は判断する。
 まず、難経の七十三難の原文から抜粋する。参考にしているのは台湾の方のサイトだ。
 The qi http://www.theqi.com/index.html
 では抜粋する。
七十三難曰 諸井者 肌肉淺薄 氣少 不足使也 刺之奈何?
然。諸井者 木也 滎者,火也。火者木之子 當刺井者 以滎瀉之。
故經言:補者不可以為瀉,瀉者不可以為補,此之謂也。
 意訳するとすれば「七十三難に曰く、井穴は皆肌肉が薄く気も少なくて鍼に使うには不便だがどうだろう? そうですね。井穴は木に属していて榮穴は火に属しています。火は木の子供ですよね、つまり井穴を瀉す変わりに子である榮穴を瀉すことが出来ますね。これを黄帝内経では『補うべきときに瀉してはならず、瀉すべきときに補ってはならぬ』と言っているのです」とでも解釈出来まいか。つまり、同一の経絡の五兪穴に六十九難で展開された治療原則を応用していると考えられる。六十九難に関しては専門家が多く居るので詳細はそちらに委ねたい。
 七十三難に関しては古典では扱いが重要視されていて、鍼灸大成に補瀉の観念の代表的なものとして掲載されている。六十九難のみが一人歩きしている日本とは少々扱いが異なっていることに注意されたい。鍼灸大成第四巻の難経補瀉の一遍に存在している。
 http://park1.aeonnet.ne.jp/~pekingdo/taisei4x.htm
 北京堂様のサイトに原文が掲載されているので参照されたい。
 余談として難経に関して少し。難経の成立年代に関してだが、前漢の辺りのBC106年という説、BC190年という説などがあるが定かではない。秦越人扁鵲が編纂したと言われているが、これもまた定かではない。だが極めて古い医学書である事は間違いないと思われ、その内容に「経言」というフレーズが有るように、難経が成立した時点では黄帝内経はすでに存在したという事が解るので、時代的には黄帝内経傷寒論の間ぐらいと見ても良さそうだ。日本では弥生時代あたりか。まさか後の世になって学生に暗記シートを作られて試験対策に丸暗記されるとは編者の扁鵲も想像すらしなかったろうに。
 さて、難経で一度提示された「同一経絡上に置ける母子関係の応用」は、難経から時代を下って更に展開して行ったようだ。鍼灸聚英(1519年成立、明の高武の編纂)にはこのような文章で登場する。
 手厥阴心包络经 配肾.(相火)起天池.终中冲.多血少气.戌时注此.
是动病 手心热.臂肘挛痛.腋肿.甚则胸胁肢满.心中澹澹大动.面赤目黄.喜笑不休.是主心包络.
所生病 烦心心痛.掌中热.盛者.寸口大三倍于人迎.虚者.寸口反小于人迎.
补 用亥时 中冲(穴在手中指端.去爪甲如韭叶.为井.木.木生火.为母.虚则补其母.滑氏曰.井者.肌肉浅薄.不足为使也.补井者.当补合.)
泻 用戌时 大陵(穴在掌后两筋间陷中.为俞.土.火生土.为子.实则泻其子.)
 これは聚英の第二巻の十二経病井榮兪経合補虚瀉実の篇に有る。
 こちらの中衝に関しての部分を見てもらいたい。前記の七十三難と同様の展開がなされ、井穴には鍼を打ちにくいという部分から、まず木と火の関連が語られる。更に聚英では補法に関して展開して行く。つまり、中衝は木の経穴であるので母に当たる土である合穴を補う事で井穴に対する補法とする事が可能であろうという論理展開である。ここで文章中に「补井者.当补合」と出てくる。井穴を補う事は合穴を補うに当たるというわけで、これは後の鍼灸問対(1530年成立、明の王機の編纂)という本に再録され現代に伝わる。
 つまり、同一経絡上での母子関係で補瀉を調節が可能であろうという発想である。
 これを瀉井須瀉榮、補井当補合説といい、まあ、単純に補井当補合とかと呼ばれるわけだ。これは中国での鍼灸の教科書を入手してみると解る事だが、向こうでは普通にカリキュラムに入っている考え方で、自分もそこで初めて知ったという次第だ。特別珍しい考え方という訳ではないと個人的には思っている。
 さて。
 以後は推論である。この同一経絡上における五行の母子関係による補瀉の加減という発想を前提に、十三鬼穴の間使の扱いを再度確認すると、中衝に大してアプローチを考えたときに、それが井穴故に鍼が使いにくいという臨床的な現実が首をもたげてくる。そこで同一経絡上で中衝の子である榮穴の労宮に瀉法を行おうという発想が生まれる。もとより榮穴は清熱の作用を持つから、気滞のように鬱結し熱化したものに対しても効果は高かったろう。だが、労宮も場所は掌という、非常に痛みを伴いやすい場所にある。ここに鍼を打ち瀉法を施すというのは患者に取って苦痛であったろうと推測できよう。また、今回の十三鬼穴というものは精神疾患に対応する配穴である。患者の精神状態は極めて悪く、いわゆるインフォームドコンセントなど成立しまい。その前提で更に労宮の使用を工夫しようとすると、この労宮の母である大陵が該当してくる。が、すでに大陵は使われている。ので、もう一つ上で労宮と相克の関係を持つという関連性を鑑みて間使が選ばれた?というのは遠回り過ぎるだろうか?
 この推論に関しては正直、考えた自分本人でも眉唾な部分を感じざるを得ない。やはり、あまりにも遠回り過ぎる考え方であるし、何より聚英、大成を読んでいくと気がつく事だが、あくまでこの時代の鍼灸の本は病状に対しての配穴のみであり、その配穴理由というものに関しては追求していないのだ。故に、間使という選択もまた、経験則に裏付けされた病状に対しての配穴でしかないと考える方が自然であろうと自分は感じている。
 

十三鬼穴考06

 補足として鍼灸大全に関して少々。
 簡単にその成り立ちを纏めると徐鳳という人が1439年、明の時代の初期に編纂した書物だ。編纂者の名前をとって徐氏鍼灸大全と呼ばれる事もある。この成立年代だが、先日の記載に勘違いして書き込んでしまったので訂正を入れておいたので参照されたい。全六巻で構成されていて有名な歌賦の金鍼賦が乗っている事で知られている。
 と、知ったかな感じで書いているが自分の手元に無い状態で、調べるのに非常に難儀して書いているのが実情だ。古典の研究の先達である北京堂鍼灸院様のサイトに好意で掲載されているものを眺めるぐらいしか自分は鍼灸大全を読む事が出来なくて、歯がゆい思いをしている。
 北京堂様
 http://homepage2.nifty.com/pekingdo/hyousi.htm
 こちらには学生時代から本当に参考にさせていただいている。十三鬼穴の部分を是非見てほしい。内容に関しては後に見て行きたいと思う。掲載されているのは第一巻の中盤である。抜粋しようとも思ったが原文を掲載されている好意に反すると判断しリンクだけしておく。
 http://park1.aeonnet.ne.jp/~pekingdo/taizen1.htm
 さて鍼灸大全だが日本に渡来したのは比較的遅くになってからのようで、茨城大学のほうに参考資料が有る。
 http://www.hum.ibaraki.ac.jp/mayanagi/materials/edoChimed.html
 やはり鎖国の影響が大きく、明代以降の中国の医書が日本に入ってくるには相当の時間を要したようだ。
 
 鍼灸大全に関しての個人的な印象だが、徐々に鍼灸の方法論が複雑化して行く過程が見て取れるように思える。この後の時代に流行する子午流注のように複雑の極みを行くようなものでもないが、補瀉の技法に焼山火や透天涼が書かれていることからも、この時代に様々な工夫がなされてきたのが垣間見れる。極論を言ってしまえば、この時代の鍼灸の技法が記された古典の最高峰は鍼灸大成ではあるが、それでも鍼灸大全を見ておくのは有意義ではないか?と個人的には思えた。反論は有ろうが。
 
 では鍼灸大全の十三鬼穴を他の十三鬼穴と比較してみる。
 まず、歌賦という形が取られているのは後の聚英や大成と同じだ。解説の入っている大成の場合は前半部が該当する。こう見ると千金翼方で記された十三鬼穴は明の時代には歌賦として流通していたと推測できる。
 細かい部分を見ると、九鍼の部分が間使となっているのに注目してもらいたい。間使鬼市上となっていて、どうにも承漿とチャンポンになっているようだ。北京堂様でも書かれているが鍼灸大全は誤字が多いらしく、どうも十三鬼穴にも誤字が混入していると考えて良さそうだ。むしろ、この誤字や脱字の多さが後の聚英や大成の編纂を促したのだとプラスに考えることも出来るかもしれない。
 いかにせん、十三鬼穴は鍼灸大成になって間使の扱いが変化したのだと解る。


 補足を入れたら中途半端になったので補井当補合からの推論は次回に回す。

 古典を読んだりする上で気になる事や思った事を少しだけ書こうと思う。学生時代から古典は読んでいたが、いかにせん日本語訳されたものは価格が高くて購入には覚悟が必要だった。社会人から針灸学校に入学したので多少の自由になる金銭は有ったが、一冊5000円を軽く超えて行く本を何冊も買うのは身を削る思いだ。事実上、それは現在も同じだ。食事が日に日に惨めになる。
 個人的に一番痛手だったのがこの本だ。
 

黄帝内経霊枢―現代語訳 (上巻)

黄帝内経霊枢―現代語訳 (上巻)

 
黄帝内経霊枢―現代語訳 (下巻)

黄帝内経霊枢―現代語訳 (下巻)

 必携の本とはいえ、この価格は胃が痛くなった。
 そんなおり、ふと気がついたのが「原書なら安いのでは?」という事だ。中国との貨幣価値の差は当時でおよそ1:7と言われていて、七分の一の価格で本が流通しているのならば七倍買えるではないか!と思った。どうせ日本語訳で読んでいる時も丁寧に追って行く時は辞典片手に原文を追うのだ。労力は大して変わり有るまいと思った。早速神保町に出かけて中国語の本を扱う店に入った。
 さすがに七分の一とまでは行かないものの、遥かに安価で手に入る事を知った。
 それから実際に中国に出かけたりしたが、そういう機会に複数原書を入手して今に至っている。実際に今参考にしている大成も天津で購入したものだ。他にも前記のようにネットに有志の方がアップしていたりするのを、ありがとうと言いながらプリントアウトしてファイルしている。最近ではこちらの方が多い。やはり古典とはいえ一度データ化してしまうと検索や編集が楽で個人的には重宝する。もちろん、ただ単に読むのも良い。
 医書の古典という特殊な分野故に、専門用語が多く有る。それらの処理が一番頭を悩ませるのだが、最近では中国の方でも同じ事を考えている人が増えたらしく、この手の専門用語をデータにして検索が可能な状態のサイトも複数あり、それらを使って調べるのが自分としては一番早く動けていいと思う。それに、専門用語の多くは日本でも使われる事が多く、いわゆる教科書的な範囲からは逸脱するが辞典も存在しているので参考されたい。
 
中医基本用語辞典

中医基本用語辞典

 だが、前記のような補井当補合とか微妙に扱われない言葉もあるので、そういうのは面倒だが本を順番に見て行くしかない。この作業はとにかく困難だが、作業中に新しい発見も有るので出来うる限り楽しもうと思っている。実際に十三鬼穴のテーマで色々書く切っ掛けも、他の事を調べていて興味を引かれたからだ。
 随分とよけいな事を書いてしまったようだ。

十三鬼穴考05

 前回、徐秋夫の十三穴歌にある舌縫を舌下中縫としたのは大成の十三鬼穴歌で「在舌下中縫, 刺出血」と書かれている事、そして千金翼方の十三鬼穴歌では「去舌頭一寸,當舌中下縫,刺貫出舌上」を受けての表現である。では、その場所は?というと舌の下側の縫い目のような場所という事になりそうだ。刺し貫いて舌の上に出すという部分から推測したものだ。
 だが、この舌縫に関しては他にも解釈が出来るため、これで確定とはいかないことを記しておく。
 他の解釈としては、舌正中溝ではないか?というものもある。舌にある縫い目のような部分という解釈で、この場合は徐秋夫の十三穴のみを見た場合だと、この解釈の方が自然になるだろう。自分がやった大成や千金翼方の十三鬼穴との比較に寄る解釈は、どちらかというと突飛なのかもしれない。成立年代が大きく異なるし、時代に寄っての解釈の違いは尊重すべきだと考えられる。
 よって、ここに訂正を入れておく。
 どちらにせよ舌に鍼を刺し、出血させる事を目的とする手技を行うことには間違いないし、現在の日本の鍼灸では実施できそうにない手技である。
 鍼灸という治療行為が救急救命にまで関与していた頃の治療の名残という見方もできるのではないか?と考える事も出来るだろう。じっさいに癲癇の発作などで失神した患者に対し鍼でその意識の回復を試みるとすれば、口を噛み締める事で舌を損傷してしまう可能性を排除するためにも口の中に何らかのアクセスを行う必要は有ったのかもしれない。実際に大成では「仍膻安針一枚, 就兩口吻, 令舌不動, 此法甚效,」という記載が有り、頬を貫く形で横に鍼を打ち、それで舌を動かないようにするのが効果的という意味に取れば、上記の状態を類推することを大きな飛躍と考えなくても良いのではないかと思う。
 
 前回の終わりに聚英における十三鬼穴の表記を抜粋したが、この抜粋で興味深いのは労宮と間使の関連である。九鍼の部分を見てほしい。聚英においては「九鍼,間使、鬼営上。」とあり、大成においては「九針勞宮為鬼窟,」「九針鬼窟, 即勞宮」とある。要するに聚英では間使であったのに大成では労宮となっているのだ。聚英の編纂から大成の編纂までおよそ100年の時間の経過が有るにせよ、大きく伝承が失われたとも考えにくい。何らかの形で十三鬼穴は伝えられていた筈で、その伝承のプロセスのなかで変化が有ったと考えるべきか、または何か大きな要因が有ったのか? 現時点ではどれも推測の域を出ない。
 だが、十三鬼穴が掲載された最初期のものとして千金翼方があり、こちらでは「第九次下針,從手膻紋三寸兩筋間針度之,名鬼路,此名間使」とされて間使を九鍼としている。また、大成では後半の解説の部分で「更加間使後谿二穴, 尤妙。」とし、更に間使と後谿を加えると効果は高まると付け加えている。どちらにせよ、間使が軽んじられたために九鍼から除外された訳ではないのだろう。
 
 では間使と労宮に関して少々考察してみたい。
 まず、取穴法からだが日本の経穴の教科書と中国の取穴ではいくつか異なる部分が有り、この間使に関してもその異なる部分に属してしまう。日本だと前腕は一尺として考えるが中国では一尺二寸として考える。故に間使の部分は多少ずれてしまう。日本式での内関との比較をすると簡単に表記できそうにも思えたが、実際に取穴してその差を見てみると一概に日本式取穴の内関と中国式取穴の間使を同等には書けない。やはり、それぞれの方式に則って取穴すべきだと自分は考える。それぞれの文化的背景に敬意を表するという意味でも、である。
 間使、労宮ともに厥陰心包経に属し、心経の代わりに使われる事が多い。心が精神活動を司る臓器とされることから心包もまた精神活動を主るとされる。この辺りの基本事項は専門のサイトや教科書に譲る。主題に戻ろう。
 この二つの経穴の問題は関連性で、この二つは相克の関係になることが解る。労宮が榮火穴で間使が経金穴、火克金の関係がある。だが、この関連性は十三鬼穴の取穴としてはあまり関係ないように思われる。その理由としてまず、十三鬼穴が考察された年代では、病状に対しての配穴であって臓腑弁証といった理論を背景に持たないゆえに、五兪穴の五行的な効能を考慮していると思えないというのが一つ。それは他の十三鬼穴にも言える。それに心包経では既に大陵が配穴されていて、こちらは原穴という使い勝手の良いものであることから、いわゆる配穴理論で考えたときに更に配穴を重ねるなら、例えば実証であれば曲沢を加えた方が自然であろうし、虚証であれば背部兪穴の心兪を加えた方が自然だと思う。
 そういう一連をふまえた上でなお、労宮と間使を関連づけて考えるのであれば、井穴の中衝をワンクッションいれて考えると面白いかもしれない。中衝は他の井穴と同様に啓閉開竅の配穴に用いられる。もっとも、この啓閉開竅の配穴自体が十三鬼穴からの影響を大きく受けているものだから、順序が逆というそしりを受けるかもしれない。だが、難経では井穴に心下満を主るとあり、心が塞がって満ちてしまい痞(つか)えている状態の解消に使うとある事も考慮すると、以前より井穴の精神疾患に対する治療効果は知られていたと考えても良いと判断出来よう。
 そうすると、精神疾患に対しての効力の大きい配穴というと中衝を最初に考えるのは大きく外れた事ではないと思う。だが、ここでもう一度中国と日本の取穴法の違いが浮上する。日本では中衝は手の中指の橈側爪甲部となる。爪の根元という場所が場所だけに鍼を打つのは困難だし、第一患者が痛がる。ここで扱っている疾患が精神疾患であることも忘れてはならない。患者の状態は説明して納得してもらえるような状態であるとは言い切れないのだ。更に中国での取穴では中衝は中指の先端である。こうなると指先に鍼を打つ事になり、患者の痛みは想像出来よう。
 つまり、非常に使いにくい経穴と言えなくもないのだ。
 こういう部分を考慮すると井穴に瀉法を行うことの難しさを解消する配穴を考える必要に迫られたのではないか?と自分は推測する。事実、中国での井穴の扱いに補井当補合というものがある。

  

十三鬼穴考04

 前回聚英に関して触れたので、その続きとして聚英に書かれている十三鬼穴に関する記述をいくつか抜粋し、その内容を見てみたいと思う。まず、聚英の四巻から二つ。

鍼灸聚英4巻下
宋,徐秋夫-鬼病十三穴歌
人中,神庭,風府始
舌縫,承漿,頬車次、
少商,大陵,間使連、
乳中,陽陵泉-有据、
隠白,行間-不可差、
十三穴,是-秋夫置。 

 この徐秋夫という人物は中国のサイトで調べてみると南北朝時代山東省の現在の南京の医家の人で多くの名医を排出した医家の出身だという。その息子も医家だと記載が有る。
 http://www.tcm100.com/ShuJuKu/GuDaiYiJia/zzYiJia1341.htm
 何かと鬼に縁がある人らしく、南宋時代の医療と民間伝承を記録した「医説」から抜粋された「医談抄」に登場し、そのエピソードとして鬼に治用を懇願された話が掲載されている。このとき、鬼には「実体」が無かったために鬼の体として人形をつかい鍼を打ったと記録されている。詳細は以下を参考にされたい。
 http://www.hum.ibaraki.ac.jp/mayanagi/paper03/shohyoIsetsu.html

医談抄 (伝承文学資料集成 (22))

医談抄 (伝承文学資料集成 (22))

 http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/1350328.shtml
 このエピソードからも当時の「鬼」の観念が垣間見る事が出来る。この当時の鬼は観念的なものという範疇から脱していない。現在のような異形のものではなく、人と交わる事の出来る、それでいて人と異なる、実体のないものという観念が定着していたと考えても良さそうだ。
 聚英に残されている歌賦の場合は、はっきりと鬼病と書かれているように、鬼の治療ではなく精神疾患を対象とした治療を歌っている。十三鬼穴歌との違いを見て行くと面白い。
 大成の十三鬼穴歌で扱われている経穴は纏めてしまうと以下のようになる。

1 人中 鬼宮
2 少商 鬼信
3 隠白 鬼壘
4 大陵 鬼心
5 申脈 鬼路 火針
6 風府 鬼枕
7 頬車 鬼牀
8 承漿 鬼市
9 労宮 鬼窟
10 上星 鬼堂
11 会陰(男)、玉門頭(女) 鬼蔵
12 曲池 鬼臣 火針
13 舌下中縫 鬼封 刺出血
 
 徐秋夫の鬼病十三穴は以下の通り。

1 人中
2 神庭
3 風府
4 舌縫(舌下中縫)
5 承漿
6 頬車
7 少商
8 大陵
9 間使
10 乳中
11 陽陵泉
12 陰白
13 行間

 申脈と曲池が無いのは、火針の使用が敬遠されているからと考えられる。確かに、精神状態の不安定な患者に対して火であぶった針を使うのはリスクが高い。その点を考慮すると、徐秋夫の配穴の方が実用的だと言える。同様に、会陰(女性患者だと名称が変わり玉門頭となる)も、場所が場所だけに使用するのは困難だろう。そういった穴をいくつか入れ替えているのが特徴と言える。
 とはいえ、乳中を使っている辺り現在の鍼灸への応用は困難な部分もある。
 個人的に注目したいのは、前回でも触れた間使の扱いだ。
 以下に聚英における十三鬼穴歌を抜粋する。大成と比較してもらいたい。
 

孫真人,十三鬼穴歌
百邪,癲狂-所為病、鍼有十三穴,須認。
凡鍼之体,先-鬼宮、次鍼-鬼信,無不応
一一従頭,逐一求、男従左起,女従右。
一鍼人中-鬼宮停、左辺下鍼,右出鍼。
第二,手大指-甲下、名-鬼信,刺三分深。
三鍼,足大指-甲下、名曰-鬼壘,入二分。
四鍼,掌後-大陵穴、入鍼五分-為鬼心。
五鍼,申脈-名鬼路、火鍼三下,七饪饪。
第六,却尋-大杼上、入髪一寸,名-鬼枕。
七刺,耳垂下五分、名曰-鬼牀,鍼要温。
八鍼,承漿、名-鬼市、従左出右,君須記。
九鍼,間使、鬼営上。
十鍼,上星、名-鬼堂。
十一,陰下縫-三壮、女玉門頭-為鬼蔵。
十二,曲池、名-鬼臣、火鍼,仍要,七。
十三,舌頭-当舌中、此穴,須名是-鬼封。
手足両辺,相対刺、若逢狐穴,只単通。
此是,先師-真妙訣、狂猖悪鬼,走-無踪。